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act.6影踏スクランブル<2>

「櫻はハイキングに参加すらしなかったから、ちゃんと頑張った葵くんは偉いよ」 葵をからかった櫻に気付かれないようにこっそりとフォローしてくれる奈央はやはり優しい。よしよしと頭を撫でて褒めてくれる奈央の温かさにはいつも癒される。 「そろそろお開きにしようか。日も陰ってきた」 お喋りには混ざらず窓際の会長席に座っていた忍がゆっくりと口を開く。繊細なレースが施されたカーテンをめくり、空の変化を確認していたようだ。 「じゃあお先に」 忍の声を受けて我先にと立ち上がったのは櫻だった。彼が肩に掛けた鞄は学園指定の黒革ではなく光沢のある濃いブラウン。堂々と校則違反をするのは役員としてどうかと葵は思うのだが、彼に似合ってしまっているのだからきっと誰も指摘しないのだろう。 「また音楽室ですか?」 「そ、演奏会も近いし、部屋のピアノより音が良いからね」 あっさりと帰りそうな櫻を思わず引き止めてしまうと、案外葵の相手をしてくれる。意味もなく葵の頬を抓んでくるところは相変わらずだけれど。 「……怪我、もう大丈夫ですか?」 あの日葵が噛んでしまった櫻の指先。美しい手に不釣り合いな絆創膏は外れているが演奏に差し障りがないか心配だった。だが櫻はスッと葵から手を離してしまう。 「怪我?何の話だっけ?」 彼はそう言って笑うと今度こそ生徒会室を出て行ってしまった。本当に難しい人だ。 「じゃ、俺も行こっと。また明日ね、葵先輩」 連休が明けて変わったことがもう一つあった。まるで櫻の後を追うように席を立つ爽の様子。いつも一緒に行動していたはずの双子の単独行動が増えた。初めはまた喧嘩をしたのかと危惧したのだが、こうして揃って生徒会に顔を出してくれるぐらいだ。二人の雰囲気はむしろ良好に見える。 「聖くんは?夜ご飯一緒に食べる?」 一人残された聖を気遣って声を掛けてみるが、彼も予定があるらしい。荷物を手早くまとめた聖もまた席を立ってしまう。 「うーん、そうしたいけど今日はこれから打ち合わせなんです」 「お仕事の?忙しそうだね」 「そう、ちょっと詰め込みすぎちゃいました」 苦い顔をしてみせるが、聖はなんだか楽しそうだ。知らぬ間に彼等の何かが変化している。良かったと思う反面、少しだけ寂しいと思うのは葵の我儘だろうか。

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