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act.6影踏スクランブル<22>

「あのまま今日が終わるのは寂しくて。奈央さんに会いたい気持ちが我慢できませんでした」 それが素直な気持ちだった。奈央のためではなく、自分の感情に正直になった結果だ。そう真っ直ぐに奈央を見つめて答えれば、彼は一瞬驚いたように目を丸くし、そして何故か自分の顔を両手で覆って伏せてしまう。 「奈央さん、どうしたんですか?」 何かまずいことを言っただろうか。不安になって奈央の顔を覗き込むと、彼は湯上がりのせいとは言い切れないほど頬を赤く染めていた。 「葵くんって時々すごいこと言うよね」 「ダメでした?」 顔を隠したままの奈央は葵からの問いかけにただ首を横に振って答えてくる。奈央の真意は分からないが、少なくとも言ってはいけないこと、ではなかったようだ。 「敵わないなぁ本当に」 まだわずかに頬を赤くさせたまま、奈央はようやく葵と視線を合わせてくれた。困ったような笑顔だけれど、そこに悲しい色は見えない。この表情には見覚えがあった。 「冬耶さんに葵くんのこと初めてきちんと紹介してもらった時もそうだった」 奈央も葵と同じ時を思い出していたらしい。 冬耶からは時折奈央の話を聞かされていた。努力家で少し無理をしすぎる可愛い後輩を生徒会に入れることにした、と。誰に対しても面倒見の良い兄だが、逆に誰か一人を熱心に構うことはよくあることではない。 だから奈央と出会う前は、冬耶に可愛がられている奈央にほんの少し羨ましい気持ちが芽生えていた。葵自身、冬耶にこれ以上ないくらい可愛がられていることは弁えていたから嫉妬ほど刺々しい感情ではない。ただ、放課後生徒会で冬耶や遥と過ごせる奈央が羨ましかったのだ。 “あーちゃんはきっとなっちと仲良くなれるよ” 葵の羨望に気が付いたのかもしれない。冬耶は葵に奈央を紹介する前にそう助言をしてくれた。確かにその言葉通り、柔らかな笑顔で挨拶をしてくれた奈央を葵はすぐに好きになった。それを奈央に伝えた覚えがある。 「”一目惚れ”って気軽に使っちゃダメだよ」 「でも本当に一瞬で好きになっちゃったから、”一目惚れ”で合ってますよ」 あの時伝えた言葉を奈央にやんわりと叱られてしまうが、何が間違っているのか分からなかった。 初対面の人と会話をするのは苦手だったけれど、奈央とはすんなり打ち解けることが出来た。冬耶が事前に良い人だと情報をくれていたから、という理由もあるが、奈央本人が醸し出す穏やかな雰囲気が緊張を解してくれたのだと葵は思う。葵が自己紹介を詰まらせてもからかうことなく、ゆっくり頷いて待ってくれる仕草だけですっかり懐いてしまった。 冬耶に半ば強引に生徒会の一員として招かれた時も、冬耶や遥以外の既存の役員に馴染めなかった葵を一番に支えてくれたのも奈央だった。

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