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act.6影踏スクランブル<24>

「葵くんと僕は、同じ絵本に居られるかな?」 奈央の質問の意味を理解するのに少しだけ時間を要した。 学園の中で葵を”姫”と呼ぶ人が居ることは知っている。その呼び名はあまり好きではなかったけれど、奈央の対になる存在としてならむしろ嬉しく感じられた。それに、奈央に救われている、という意味では彼の登場する物語のお姫様でもあながち間違いではない。 「奈央さんのお姫様になら、なりたいです」 例え話の中でも離れ離れになるのは寂しくて端的に気持ちをまとめると、奈央は葵を力強く抱きしめてきた。頭を撫でてくれたり、指を繋いだりする程度のスキンシップなら日常的だったけれど、こうして彼の腕に包まれる経験は殆どない。 「……本当に敵わない」 そう呟く奈央の耳が赤く染まっているのが瞳と同じ色をした髪の間から覗き見えた。葵からも奈央の背中に腕を回せば、その赤はより濃くなった気がする。 いつも頼りになる先輩の甘えるような仕草が嬉しくて、葵は自分がしてもらう時のように彼の髪に指を通してみた。タオルだけでは乾かしきれなかったのか、湿った感触が指から伝わってくる。 「奈央さん、髪、乾かしましょうか?」 湯上がりの奈央を拘束してしまったことを思い出して、葵はすぐにそう提案してみる。奈央のために出来ることを最大限見つけたい。そんな思いを叶えるチャンスでもある。 「葵くんが?乾かしてくれるの?」 去年の歓迎会で同室だった奈央は葵が遥に髪を乾かしてもらっていた光景を見ている。だから葵が誰かの髪を乾かす行為自体が奈央には想像がつかないのだろう。 確かに葵はドライヤーの先が自分に向けられることを苦手としている。けれど、信頼している相手になら身を任せることが出来るようになったし、自立に向けての前段階として都古の髪を乾かす練習も始めていた。 「じゃあお言葉に甘えて、お願いしようかな」 自信満々に頷いた葵を見て奈央はそれ以上深く尋ねることはなく、棚に仕舞っていたドライヤーを手渡してくれる。 都古の長い髪を扱うよりは、奈央の髪を乾かすのはずっと楽だった。それに都古は髪を乾かす間、葵の正面を陣取って首筋にキスを落としてきたり、腰を撫でてきたり悪戯を仕掛けてくるのだから、その点でも奈央はジッとしてくれるからありがたい。 けれど、どうやら葵が恐る恐る髪に指を通して風を当てる仕草は奈央にとってはくすぐったい刺激になるようだ。 「……ご、ごめん、葵くん。このままだと死んじゃう」 ずっと笑いを堪えていてくれていたらしい奈央は、葵がうなじにかかる髪を指で掬った瞬間とうとうソファに蹲ってしまった。背後に立っていた葵からは彼の表情はすぐには窺えなかったが、控えめな笑い声で事情を察した。 「すみません、加減が分からなくて」 「ううん、大丈夫。もう殆ど乾いたから終わりにしよう」 目元に滲む涙を拭う奈央にドライヤーを取り上げられてしまえば、これ以上粘ることは出来なかった。 「また挑戦させて下さい」 上手く出来なかったことが悔しくて頼み込んでみたが、奈央は複雑そうな顔で”いつか”としか答えてくれなかった。

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