713 / 1594
act.6影踏スクランブル<26>
* * * * * *
好きな人の名前が聞こえるとどうしても体が反応してしまう。食堂で遅めの夕食を終えた未里はエレベーターを待つ間、背後で聞こえた声に思わず肩を揺らした。
「……あー、じゃあそのまま寝かせちゃっていいっすよ。すいません、高山さん」
さり気なく振り返れば、そこに居たのは一つ学年が下の生徒だった。くすんだオレンジ色の髪と長身が目印の彼は、前年度生徒会長の弟、京介だ。どうやら携帯で未里の片思いの相手、奈央と会話をしているらしい。
「アオは?」
「高山さん寝かしつけようとして先に寝ちまったんだと」
「……何、それ」
通話を終えた京介の言い分を聞いて顔をしかめるのはソファに腰掛けていた浴衣姿の都古だった。未里は二人と会話をしたことはないが、大好きな奈央の周りにいる目障りな連中、として認識している。彼等の話題は未里がその中でも最大の害悪としてみなす、葵のことのようだった。
未里はエレベーターに乗るのをやめ、あくまで自然に近くの自販機へと足を伸ばした。飲みたくもないジュースを選ぶ振りをしながら、彼等の会話に聞き耳を立てる。
「迎え、行く」
「寝たばっかで無理に起こすとぐずるからやめとけ」
「あやすから、平気」
どうやら二人の意見は割れているようだった。察するに彼等は奈央の元に向かった葵をここで待っていたのに、葵が奈央の部屋で眠りだしてしまった、ということらしい。葵を連れ戻すかどうかで揉めている二人のうち、未里は都古を心の中で応援することにした。
「高山さんなら危なくねぇだろ」
「……でも、ヤダ」
「葵をあっちに慣れさせるのにいい機会だ」
京介はそう言って立ち上がるが、その一言は未里にとっては衝撃的なものだった。葵を生徒会フロアに移らせようとしている。誰の意思かは分からないが、未里にとっていい話ではない。
今でさえ京介や都古という存在がありながら生徒会役員や後輩まで侍らせている葵の姿は未里にとっては不愉快極まりない。耐えられていたのは葵が拠点を同級生の元に置いていたから。けれど奈央との距離が物理的に縮まるとあれば穏やかにはなれない。
未里がそうして人知れず苛立ちを募らせている間に、彼等の諍いもまた盛り上がっているようだった。
「京介のそういうとこ、大嫌い」
「は?何が」
「行かせたく、ないくせに。なんで、カッコつけんの」
都古の言葉が引き金になり、京介が彼の胸ぐらに掴みかかる。だが都古は涼し気な顔をして京介を睨むだけ。そしてそれを受ける京介もすぐに我に返ったように舌打ちをして、未里が呼んでいたエレベーターに乗り込んでしまった。
残された都古は再びソファに腰を下ろし、ジッと生徒会のフロアへと繋がるエレベーターを見つめ始める。どうやら彼はこの場を離れる気はないらしい。
────もしかして朝まで居るつもり?
彼が葵の忠実なペットとして振る舞っていることは見聞きしている。馬鹿馬鹿しい、そんな視線をちらりと向ければ、彼は一瞬射殺すような鋭い目を未里にぶつけてきた。すぐさま視線は外れたものの、未里の背筋を震わせるには十分で、次に来たエレベーターに飛び込むようにしてその場を離れることしか出来なかった。
これでも未里には自分を慕う取り巻きが居て、それなりの地位を確立しているつもりだ。何にも属していない下級生に舐められる覚えはない。都古が自分に対してあんな目を向けてくることも、それを睨み返せなかった自分にも悔しさが込み上げていく。
ともだちにシェアしよう!