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act.6影踏スクランブル<48>

「一番に助手席に乗せるのはあーちゃんの予定だったんだけど。それはまた今度な」 簡単な手当を終えれば、冬耶は葵が惜しむ間もなく都古を連れて行こうとしてしまう。ロータリーに停められた車は昨夜京介から見せてもらった通りの赤いスポーツカー。 「お兄ちゃんとどこにデート行きたいか、考えておいて」 問答無用で都古をその助手席に押し込んだ冬耶は葵を少しでも笑顔にしようと楽しい話題を振ってくるけれど、その心遣いを素直に受け入れられそうもなかった。 連休が明けてようやく都古と毎日過ごせるようになった矢先にまた離れ離れになってしまう。それも二、三日の話ではない。いつでも葵に寄り添ってくれる温かな存在を手放すのは耐えがたかった。 「僕がみゃーちゃんに会いに行くのはいい?」 「……あーちゃん、我慢できない?十日だけだよ?」 冬耶ははっきりと良いとは言ってくれない。葵が都古に会いに行ってしまえば、都古に反省を促すことが難しくなるから、なのだろう。それは分かっている。分かっているけれど、寂しくて仕方ない。 「今生の別れじゃないんだから」 窓ガラス越しにこちらを見つめる都古も寂しそうな顔をしている。葵が思わず駆け寄ってぺたりとガラスに張り付けば、冬耶からは苦笑いをされてしまった。それでも冬耶は乱暴に葵を都古から遠ざけたりなどしない。そっと隣に立ち、宥めるように頭を撫でてくれる。 「あーちゃん、そろそろ行くね」 葵が諦めるのを待ってから冬耶はようやく運転席へと向かい始めた。引き止めたいけれど、いくら優しい冬耶相手にもこれ以上の我儘が通用しないことは感じ取っていた。 車高の低いスポーツカーにするりと滑り込む姿すら兄は様になる。エンジンを掛け、ハンドルを握る横顔がどこか弾んで見えるのは新車、だからだろうか。 「なっち、悪いけどあーちゃんのこと宜しく。京介はどこほっつき歩いてんだか分かんないから」 冬耶は最後に、数歩後ろに控えていた奈央へと声を掛けた。奈央がただ頷きを返して答えると、余韻を残さないように冬耶はゆっくりとアクセルを踏み込んでしまった。 「……烏山くん、案外おとなしかったね。もっと抵抗するかと思ったんだけど。さすがに落ち込んでるのかな?」 校門の外に赤い車が消えていくのを見送りながら、奈央は少し不思議そうに葵を見下ろしてきた。確かに都古は嫌がりはしたものの、助手席に座ってからはただジッと葵を見つめるだけに留まっていた。反省してくれていたらいいのだが、葵にはなんとなくその答えが分かってしまう。 「多分、脱走する気です」 「……やっぱり?」 冬耶は時間を自由に使っているように見えるが、大学に通う身。都古を四六時中監視するなど不可能だろう。怪我をしているとはいえ、身軽な都古は西名家を苦もなく抜け出してしまいそうな気がする。 「奈央さん」 「うん?どうしたの?」 奈央と並んで寮に戻る道すがら、心細くなって思わず彼の手に触れてしまう。奈央は少し驚いたようだが、何も言わず優しく葵の手を握り返してくれた。 「もし京ちゃんが帰ってこなかったら、またお泊まりしに行ってもいいですか?」 更に甘えることを言ってしまっても、奈央はやはり葵を拒むことはない。でも、”一緒のベッドで寝たい”という願望だけは、即答してはもらえなかった。

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