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act.6影踏スクランブル<56>
* * * * * *
学園内で起こった騒動が知れ渡るのには一晩あれば十分だったようだ。寮のエントランスを通り抜ける間、方々から都古が起こした事や、それを卒業生である冬耶が迎えに来たことが語られているのが耳に入る。
忍が視線を投げれば一瞬お喋りは止まるのだが、少し距離を離せばまた背後で再開される気配がした。閉鎖的な学園内でああしたスキャンダルは生徒達にとって丁度いい娯楽になってしまうのだろう。
この状況を体感した忍は、一度は校舎へと向けた歩みを止め今度は一般生徒用のエレベーターへと足を運ぶことに決めた。目的地はもちろん葵の部屋だ。
チャイムを鳴らし、数度ノックを繰り返して現れたのは心底鬱陶しそうな顔をした京介だった。
「……会長?何?」
制服は身に付けているものの相変わらずネクタイは結んでおらず、気だるそうに忍を睨みつけてくる。上級生に対して随分と反抗的だが、その理由は彼の唇がいつになく艶めいているところを見れば大方想像はつく。葵と唇を重ねていたのだろう。邪魔をされたとあればこの態度もうなずける。
忍たちの前では葵に引っ付く姿は決して見せない京介だが、一番のライバルが不在の間葵を堪能しようとする小狡さはあるらしい。
「会長さん、おはようございます」
京介の後ろからひょっこりと顔を出した葵の唇もまた、吸われたことを示すように赤く色付いていた。着替えの途中で手を出されたのか、シャツのボタンもきちんと留められていない。
「朝食はまだだろう?支度をしておいで」
肌蹴ていることを指摘するようにシャツの胸元を摘めば、葵は少し恥ずかしそうな表情を浮かべて素直に部屋の奥に下がっていく。
「その様子じゃ、葵にまだ言っていないんだろう?」
「何が?」
「葵をこの部屋から移す話だ」
忍が葵に触れようとするだけで眉をひそめる京介のことだ。葵を手放す提案を進んでするとは思えなかった。
「それ、兄貴が?」
「あぁ、いつでも受け入れられるように部屋はもう準備してある。あとは葵次第だ」
連休が明ける前に冬耶からもたらされた指示は忍が願ってもないことだった。だからすぐに要望に応えてみせたのだが、一向に話が進まないまま。冬耶に尋ねれば、引っ越しのタイミングの判断を京介に委ねているのだという。
だが京介のこの反応を見る限り、こうして忍が葵を受け入れる体制を整えていることすら知らなかったようだ。
「いつまでもこの部屋に置いておくわけにはいかないだろう」
「……分かってる」
忍が諭さずとも、京介自身葵の生活拠点を移す必要性は感じているようだ。葵が身支度を整えて現れたことでこの話題は中断されたが、不貞腐れた京介の様子を見ると当分葵を手放す気はなさそうに思えた。
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