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act.6影踏スクランブル<63>
* * * * * *
広大な敷地の学園内には授業をサボるのに適した場所が両手では収まりきらないほどある。その中でも幸樹が気に入っているのはとびきり日当たりの良い、校舎の屋上。
けれど葵がそこを度々覗きに来ていると知ってしまってからは迂闊に訪れることが出来なくなっていた。それからというもの幸樹は二番目にお気に入りの温室でほとんどの時間を過ごしていた。
グラウンドに面した校舎から中庭へと向かう途中にある小道を進んだ先に、ドーム型のこじんまりとした温室はある。わずかな数の生徒が所属している園芸部がこの場を管理しているのだが、入り口は施錠されておらず誰もが自由に出入りすることが出来る。
何代か前の部長の趣味で温室内には華やかな模様の施された青銅のテーブルセットが置かれている。そのベンチは長身の幸樹が寝そべっても十分な大きさがあった。いつでも暖かく居心地の良い空間はうたた寝をするのにはうってつけだ。
"時間が経つほど戻りにくくなるよ"
今朝方届いた奈央からのメールは、こうして連日学園には来るものの未だに生徒会に顔を出せない幸樹を諭すような内容だった。それを眺めては、今日こそ放課後生徒会室に向かおうか悩んでいたのだが、どうしてもその気になれず幸樹は画面を閉じ、きつく目を瞑った。
奈央の言うことは正論だ。それに京介からも葵が幸樹に会いたがっていると聞いている。あの夜のことを葵が思い出せた以上、幸樹が気遣う必要はもうない。
頭では分かっていても、葵が湖にポツンと浮かぶ様や、抱き上げた時の冷たさがまだ恐怖として幸樹の心を縛り付けていた。また迂闊に葵を傷つけてしまったら。今後こそ手遅れの事態に発展したら。悪い考えが止まらない。
「……臆病にも程があるよな」
楽天的でお調子者。生徒会ではそんなキャラクターを演じていたはずなのに、葵が絡むと途端に崩れてしまう。そんな自分に嫌気がさしていた。
きっとまた今日も葵に会う勇気は出ないのだろう。京介や奈央には呆れられるだろうがこればかりは仕方ない。適当に時間を潰して帰ろう。幸樹がそう決めて眠気に身を任せようとした時だった。
温室のガラス戸が少し乱暴に開けられ、そして誰かが駆け込む足音が続く。だが幸樹のいる場所までは来ず、入り口付近に倒れこむような音が響いた。眠りを妨げられたのは不愉快だが、大抵の生徒は先客が幸樹だと知った瞬間すぐに出て行くだろう。だからこちらから追い出すような真似はせず幸樹は自分の腕で顔を覆って本格的に眠る姿勢をとった。
だが微かに聞こえる咳き込んだ声がさっきまで考えていた存在のものによく似ていて、幸樹は思わず上体を起こした。気まずさはあるが、それよりもこんな時間に一人温室に現れる理由が気になってしまったのだ。
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