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act.6影踏スクランブル<96>

平行線の話を最終的にまとめたのは忍だった。彼は勝手に調べることはしないと奈央に約束した上で、冬耶に再度依頼することを提案した。判断を冬耶に任せるという案なら奈央も納得した表情を見せる。 休んでいた分の仕事をやらせるといって幸樹を捕まえた忍と奈央を置いて、櫻は一足先に生徒会室を出ることにした。向かう先はもちろん鍵を借りた音楽室。廊下には櫻の到着を待つようにギターを抱えてしゃがみこむ爽の姿があった。 「先輩、遅いんすけど」 「約束した覚えはないから」 「今日生徒会ないって聞いたからいっぱい練習出来ると思ったのに」 まるで櫻が遅刻したかのような言い分だ。でも櫻よりももっと葵を取り巻く事情を把握できていない様子の爽を見て、どこか安堵する気持ちは否めない。自分勝手な優越感だった。 鍵を開けると、彼はやはり当然のように一緒に室内に入ってきた。ピアノに近いテーブルにアンプとケースを置いて準備を始める爽は心底楽しげだ。 「……ねぇ、なんで葵ちゃんが好きなの?」 ピアノに向き合いながらもふと浮かんだ疑問を爽にぶつけてみる。ギターを始めたきっかけを尋ねた時は、ただ好きだからだと真っ直ぐに返事をしてきた。そんな彼が葵を好きな理由を何と告げるのか、興味があった。 「えー?なんでっすかね。可愛かったから?いや、違うな。温かかったから、かな」 「温かい?」 恋の始まりは大抵些細なことだ。そしてそれを言葉にするのもまた困難なのだろう。爽はギターを弄る手を止めずにただ頷きだけを返してきた。 「この学校で初めて俺たちを歓迎してくれたからって言い方が合ってるかも」 「じゃあ他の誰でも歓迎した人なら好きになってたってこと?」 「うーん、それはどうでしょ?そういうもんでもないと思うんすけど」 爽は顔をしかめて首を傾げてみせた。 「そういう先輩は?なんで葵先輩が好きなんすか?」 やはり彼は物怖じせず櫻に切り返してくる。 葵を好きな理由。確かに問われればとても返答に困るものだった。未だに櫻自身が解明できていない心理現象なのだ。ただ葵の何が櫻の心を離さなかったかは分かる。 「……歩み寄ってくるから」 櫻がどんなに苛めても、あしらっても、葵は櫻と仲良くなりたいのだと言って近付いてきてくれた。天の邪鬼な櫻の性格を全て飲みこんでしまうほど、葵は素直に櫻と向き合ってもくる。葵本人にもそこが好きなのだと伝えた覚えがあった。 「じゃあ俺のことも好きになります?」 「は?」 「今俺めちゃくちゃ歩み寄ってますけど」 爽は揚げ足を取るように、さっきの意地悪な質問をそのまま返してきた。 「ほら、そういうもんじゃないでしょ」 「……ホント生意気だね」 「よく言われます」 爽はまるで褒められたかのようにニコリと笑って、調弦をし始めた。櫻に指摘されて必死に練習したのか、その手際は以前よりも良くなっているように見える。 「いつか葵先輩に披露するんです」 爽が練習している曲はジャンルで言えば激しいロックである。果たして葵がその曲を好むかは甚だ疑問であるが、きっと爽が練習したと聞けば手放しで楽しむ姿が想像できた。 自分以外を構う葵など見たくもない。そんな勝手な我儘を始業式の日に押し付け葵を傷付けてしまったけれど、何故だか今は爽と交流する葵を思い浮かべたところで心はそれほど荒れる様子を見せない。 葵が幸せに笑えるなら。柄にもないことを願う自分を打ち払うように、櫻は姿勢を正し、夕陽を浴びて橙色に光る鍵盤に向き直った。

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