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act.6影踏スクランブル<98>
円形の広いテーブルが置かれた一室には椅子の上に体育座りをしてつまらなそうな聖の姿があった。彼の前に広げられているのは、単独の仕事の資料なのだろう。CMの企画書や、ドラマのオーディションの要項らしき文字が覗き見える。
「あぁ、お客さんって馨さんだったんだ」
「こんにちは、聖くん」
「どーも」
顔見知りだと分かると、聖は表情を一変させて人懐っこい笑顔を向けてきた。少し目尻の上がった顔つきのせいか、性格まできつく見えてしまうが、たった一度の撮影であっという間に馨との距離を縮めたことを考えても元来人懐っこい性質なのだろう。
きちんと立って挨拶をしなさいと母親に叱られる様子を見ると、まだ幼い子供のように感じられて微笑ましい。
馨が差し出したタブレットには、修正加工された写真のデータが表示されていた。芸術的な視点を持ち合わせていない穂高でも、それらが双子の特徴とブランドイメージを上手くマッチングさせた出来栄えだということぐらいは分かる。
だが穂高はあくまで馨の秘書として同席しているだけ。感動した様子のリエと聖、そして嬉しそうに微笑む馨との会話には加わらず部屋の入口に控えたままの状態で静かに立ち尽くす。自分の存在を無にすることにも慣れていた。あとはこのまま何事もなく彼等との時間が終わればいい。そんな穂高の願いとは裏腹に、やはり馨は会話が一段落したところで不穏な発言をし始めた。
「私はこっちのほうが性に合ってるんだよね。日本の生活にも慣れてきたし、もう少し仕事増やそうかな?」
馨の言う仕事、というのが、日頃穂高が必死にフォローを重ねている社長業のことではないことは明らかだ。どうしても写真から離れられないと主張する馨の様子に、穂高は密かに椿の母、美鈴の話を思い出した。
写真を専攻していた彼女の影響で馨がカメラに触れ始めたのはまず間違いない。今も彼がその時間を大切にしたいというのも、馨が美鈴へ特別な感情を抱いている証拠にも思えた。
「アイちゃんの写真、また撮り始めるんでしょう?」
「そのつもり。近い内に昔の写真を集めたギャラリーを作ろうかとも思ってるんだ」
翡翠の瞳を輝かせてさも決定事項かのように話しているが、生憎穂高はそんな主人の計画は初耳である。視線を投げれば、彼も穂高を見つめ、そして悪戯っぽい笑顔を返してきた。本当に食えない男だ。
「ギャラリー?素敵ね」
「一般公開は多分しないけど、是非招待させて」
馨は一体何を考えているのか。こめかみが痛み始めてくるのを、穂高はジッと耐えた。
「そういえば馨さん、”アイちゃん”、調べても出てこなかったんですけど」
「アルファベットの”I(アイ)”だよ?出てこない?」
「うーん……あー検索しても無関係なのがいっぱい出てくるから絞れないや」
ヒントを与えた馨に一瞬ひやりとしたが、聖の言う通り、アルファベットで検索したところでキーワードがなければ正解には辿り着けないだろう。
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