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act.6影踏スクランブル<104>
* * * * * *
寮の各フロアに設けられた談話室では、夕食を終えた生徒達が思い思いに友人との会話を弾ませている。未里が腰掛けるソファの近くに集まった同級生たちの今の話題は、大幅なイメージチェンジを行った生物教師のことだった。
「一ノ瀬大分変わったよね。何があったの、あれ」
「さぁ?別人レベルだよな」
ボサボサに乱れた髪に無精髭、皺の寄ったジャケットの上には薄汚れた白衣。陰気な言動を後押しするそんな見た目がいきなり変化したのだ。髪は短く切り揃えられ、髭もさっぱりと剃られている。白衣まで新品をおろしたのか眩しいくらいに輝いていた。顔色の悪さは相変わらずだが、にわかには同一人物だと一致しないほど。
でも未里にはそのきっかけの心当たりがあった。未里が仕込んだ一ノ瀬への手紙が彼に行動を起こさせたのだろう。
まさかここまで効果があるとは未里も予想していなかった。いくら葵の字体をコピーしたとはいえ、送り主の記載がない手紙を一ノ瀬がどう受け取るかは一種の賭けだった。結果で言えば未里の勝利。盲目な教師は、愛しい生徒からの”短い髪が似合うと思う”なんて身なりを整えるよう促す言葉を書き連ねた手紙に真正面から応えてみせたのだ。
未里はあまりにも上手く行った計画にほくそ笑みながら、談話室を後にした。自室のテーブルの上には図書館から拝借した生徒会の資料だけでなく、葵の鞄から持ち去った英語のノートが広げられていた。
「もっと違う鍵付ければいいのに」
教室の鍵はヘアピンのような先の細いもので少し弄れば開けられてしまう。コツを掴んだ未里にとっては忍び込むことなど楽な作業だった。もちろん生徒達が生活する寮や、生徒会室といった場所はセキュリティのレベルが高い鍵が付けられているけれど、未里には不思議で仕方なかった。
お金持ちのお坊ちゃんばかりが通う学びの場で誰かの私物を盗もうとする生徒など居ない、そんな信頼からなのだろうか。未里には有り難い環境だが、ここまで順調に計画が進んでしまう学園の甘さに呆れさえ感じてしまう。
未里はデスクに向かいながら、次なる一ノ瀬へのアタックを考え始めた。この調子なら本当に一ノ瀬は良い働きをしてくれるかもしれない。何か背中を押すような言葉はないか悩む未里に、ふと非情なプランが湧き上がった。
未里が遊びの時間に時折使用しているセックスドラッグ。これを一ノ瀬に授けてみたらどうなるだろう。きっと誘惑に勝てず、葵に使用してみたくなるに違いない。
もし本当に葵に手を出し表沙汰になったところで、一ノ瀬は葵本人から誘われたのだと主張するはずだ。手紙の主が葵だとあっさり信じ込んだ彼が、他の可能性を冷静に分析出来るわけがない。
早速、と未里は英語とその対訳の日本語の文章が並ぶノートをぱらぱらと捲って新たな手紙の内容を練り始めた。
「……ん、何これ。ポストカード?」
ノートの隙間から外国の風景を切り取った絵葉書のようなものが現れたが、未里にとっては邪魔な存在でしかない。迷う暇もなく、くしゃりと握り潰してゴミ箱に放り投げる。あの紙くずのように葵もぐちゃぐちゃになってしまえばいい。そんなことを思いながら、未里は唇を薄く歪めてみせた。
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