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act.6影踏スクランブル<106>
「今日はどうしたんだい?」
奈央が更に質問を重ねる前に館長に先を越されてしまった。少し迷ったけれど、奈央は自分の携帯の裏面を見せて正直に訪問の理由を告げた。故意に破られたとは伝えず、自分の不注意で葵との思い出の品を傷付けてしまった、だから一人でやって来たのだと打ち明ける。
「こんなもので良かったら山程あるんだ、持って行ってくれ」
購入するつもりだった奈央の気を削ぐように、館長は本当に足元に転がるダンボールからシールの束を取り出してきた。遠慮しすぎるのは逆に失礼なのかもしれない。何度目かの応酬で奈央はそう考えて、素直にビニールの包装に包まれたシールを一つ、受け取った。
早速携帯に新しいものを貼り直すと、今度は簡単に傷つくことのないよう、準備していたケースに携帯を収めた。かさばるのが嫌で何も付けない状態のまま使用していたが、保護するためにもクリア素材のケースに入れるぐらいはしたほうがいいと反省したのだ。
「……奈央さん、これを君に頼むのは筋違いな話なんだがね」
ケース越しにシールをなぞって安堵の息をつく奈央に館長は少し改まった様子で声を掛けてきた。
「あとどのぐらいここに居られるか、分からない状況になってしまった。いや、元々経営が厳しいことは前回伝えたと思うけれど、いよいよ観念せざるをえなくなってね」
館長は笑みを携えながら肩をすくめてみせるが、奈央はそれにつられる気持ちにはなれなかった。
「さっき話したボヤの原因はね、私の寝煙草、ということになっている」
「……なっている、というと実際には違うんですか?」
「私はもう何十年も前に煙草はやめたよ。それに、娯楽に使う金も無いさ」
確かに前回訪れた時も、そして今も彼が煙草を吸う様子はなかったしこの部屋に灰皿も見当たらない。では何故そんな話になっているのか。奈央の疑問に答えるように館長は話を続けた。
「私を追い詰めるのに手段を選ばなくなってきたんだろう。無関係の人を巻き込むわけにはいかないからね、だから今は誰もやって来ないここに閉じこもっているというわけだ」
はっきりと言葉にはしなかったが、前回やってきたガラの悪い連中の仕業なのだということぐらいは理解出来た。そして館長がこの先告げる言葉も奈央には読めてしまった。
「ここはもう手放すことにする。だから、あの子にはここへは来ないよう伝えてくれないか?」
「……そんな、言えません。せめて最後に一度葵くんが思い出に浸れる時間を作ってあげられませんか?」
「そうしてやりたいのは山々だが、せっかくやって来たお客さんへも嫌がらせを始めてしまってね。呼べるような環境じゃないんだ」
館長が葵の身を気遣うのも分かる。だが、ここは葵にとって幼い頃の大切な思い出が詰まった場所。来る度に元気が出るのだという空間に別れを告げる機会すら与えられないのは悲しくて堪らない。それに葵との接点を失った館長が孤独を深めることも気掛かりだ。
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