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act.6影踏スクランブル<113>

「堅物で仕事中毒で私にはいつもそっけない人です」 「……その人のことが、好きなの?」 好きな相手の特徴を言葉にすると葵が不思議そうな顔をする。確かに無理もないだろう。 「ええ、すごくね。何故だろう?心から笑った顔が見てみたいんです。ただ、それだけかもしれない」 人の心の分析には長けているのに、自分の心にはあまり向き合ってこなかった。だから葵の問い掛けにも満足のいく答えが返せそうもない。 「その人の特別な人も、宮岡先生?」 「いいえ。その人にはずーっと前から特別に大好きな人がいて、きっと一生その気持ちは変わらない」 「……そう、ですか」 葵は尋ねたことを後悔するように悲しげに眉尻を下げる。完全に理解出来てはいないのだろうが、それでも宮岡の一方通行な思いを察して共感してくれるほど彼は優しい。 「でも、私はその子のことも大好きなんです」 「じゃあ、宮岡先生の特別は二人居るってこと、ですか?一人だけじゃなくて?」 「そうですね。とても大切な二人です」 伝わってしまうかもしれない。そんな恐れも抱きながら、宮岡は葵の髪に触れた。単純に金色と表現するのは難しいほど淡く柔らかな色合いの髪は、ひどく手触りが良い。 過呼吸を起こした葵を抱き上げたと話しただけで嫉妬した彼は、こうして宮岡が葵の頭を撫でたと知ったら更に怒るに違いない。ますますそっけなくされる可能性もある。それでも目の前の葵を慈しむ感情を押さえることは難しい。 葵の心がもう少し成長した時、葵は誰を選ぶのだろうか。一日でも早く葵の記憶を呼び起こさせて、選択肢を一つ、増やしてやりたいと願う。 「葵くんにはまだ少し大人な話だったかな?」 子供扱いされるのは嫌がりそうだと思ったが、葵は宮岡の問いに頷き甘えるように凭れかかってくる。 「……子供のままで、いいかも」 宮岡相手にまで前のめりで質問攻めにしてきたぐらいだ。葵なりに悩むことがあるらしい。 葵に求められるままに肩を抱き寄せれば、遠くで鋭い視線を投げてくる京介と目が合った。彼には悪いけれど、葵にはまだしばらく子供のままで居てもらわないと困る。少なくとも、”穂高”を思い出すまでは。 宮岡はその第一歩として、葵の心の扉をゆっくりと開き始めた。

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