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act.6影踏スクランブル<121>

いつもなら一緒に入りたいとごねてくるはずの葵が一人きりになることを選んだのもその反動かもしれない。もしくは単純に、都古の居ない隙に先に進みたがる京介を本能的に警戒している可能性もある。 綾瀬からはやんわりと咎められたから、恐らく葵が七瀬に何かしらを相談したのだろう。葵の心の準備が出来ないうちに奪っても意味がないという綾瀬の意見は正論だ。京介だって叶うなら葵がきちんと京介を求めてきた上で繋がりたい。でも待っていられるような余裕はもう無い。葵を欲しがる人間は学園の内外に存在しているのだ。いつ他に奪われてしまうか気が気でなかった。 どうしたら葵にこの想いが伝わるのか。京介はソファに背を預け、一人きりの空間で気兼ねなく溜め息をこぼしてみせた。 しかしそうしてしばらくジッとしていると浴室から聞こえるシャワーの音が全く途切れないことに気がついた。シャワーヘッドを動かしている様子もない。 嫌な予感に突き動かされて浴室に向かうと、やはりすりガラス越しに蹲ったまま固まる影が見えた。 「葵、何やってんの?どうした?」 京介が遠慮なく扉を開くと、葵はシャワーの水に当たりながらぼんやりと宙を眺めていた。栓を捻って水の出を止めても葵は床にぺたりと座り込んだまま動かない。 「それやめろって。落ち着かないならこっち噛みな」 葵が自らの口元に当てた手の甲、その薄い皮膚を噛んでいることを咎めて京介が代わりに指を差し出せば、甘えるように吸い付いてくる。まるで小さな子供のような仕草だ。温度調節をしなかったのか、温かいとは言えない水に当たって冷えた体も抱き締めてやる。 「きょ、ちゃんが、合ってた」 「何が?」 シャワーが止まったおかげで葵の頬を伝うのが涙だと分かる。 「……ママ、あおいのこと、やっぱりずっとキライだった」 葵が自らを名前で呼ぶのは幼い記憶に溺れている証拠だった。カウンセリングで引き出された真実は葵を苦しめ、不安定にさせてしまったらしい。今まで普段通りの振る舞いを続けていたのは気を張っていただけなのか、それともこの浴室で一気に精神バランスが崩れてしまったのか。いずれにしても葵をどうにか落ち着かせてやらなければならない。 「あの、お風呂のお水、全部飲みなさいって……シャワーも冷たくて……ううん、熱い日もあった」 「そういうのは思い出さなくていい。俺はただお前が自分のこと大事に出来るようにって宮岡のとこ連れてったんだよ。そんな思いさせるためじゃねぇ」 浴槽を見ながら虚ろな目をする葵の意識をどうにかこちらに戻そうと声を掛けるが、なかなか上手くいかない。

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