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act.6影踏スクランブル<124>

* * * * * * 自分が通っていた高校とは随分と様子が違う。椿は広大な敷地にそびえ立つ豪奢な造りの校舎を見上げながら、数年前までの生活を思い出していた。 物心ついた時から母と二人質素な暮らしをしていたが、母を交通事故で亡くしてからは更に贅沢とは無縁の環境で育ってきた。それまで顔も合わせたことの無かった親類は当然のように椿を引き取りたがる者などおらず、たらい回しにした挙句、問答無用で施設に放り込まれたのだ。 幸い、施設自体は悪い場所ではなかったが、ごく一般的な家庭の子供たちばかりが通う学校の中では惨めな思いを散々経験してきた。きっとそんな椿のことを、金に困ったことのないこの学園の生徒達は微塵も理解出来ないだろうと思う。 「椿、もう一度高校通いたい?」 「……まさか」 先を歩いていた馨が振り返るなり馬鹿なことを言ってくる。椿が不愉快に感じると分かっているはずなのに本当に嫌な奴だ。彼の血が自分の体内を少しでも流れているのが許せない。 放課後の学園では、授業を終えた生徒達が寮へと戻ったり、部活のためにグラウンドへ向かったり、思い思いの時間を過ごそうとしている姿が見受けられる。 葵は今何をしているのだろうか。椿は馨の背中を追いかけながらも、視界の中で葵の姿を密かに探していた。 馨の思いつきはいつものことだ。今日も急に椿に連絡を寄越してきたと思えば、葵が通うこの学園に連れてきたのだった。 正直に言えば椿がここに来たのは初めてではない。訪問者への警戒が強いせいでさすがの椿も簡単には入り込めなかったから、制服を作って生徒を装ってしまおうかと考えていたぐらいだ。馨の誘いは好都合ではあったが、椿を伴わせる理由が気になるのも事実。そもそも馨の目的すら理解出来ていない。 馨を先導する教師が案内したのは、職員室の並びにある応接室の一つだった。この部屋もまた、椿にとってはやりすぎだと感じるほど装飾が華美である。金持ちというのはどうしてこうも己の財力を誇示したがるのか。 「本日はご足労頂き……」 「あぁいいんですよ、こちらが急に押しかけたんですから」 部屋で待ち構えていた男は教頭だと名乗り、馨相手に深々と頭を下げた。頭髪に白髪が混じり始めているのがよく見える。馨は人に敬われることに慣れきった様子で平然と顔を上げさせてみせた。 「ここへ来たのはうちの子が幼稚舎に通っていた時以来です。随分と長いこと任せきりにしてしまって」 「いえ、葵くんは成績も優秀で生徒会の活動にも励んでいまして……」 一体これから馨は何を始めようとするのか。葵を持ち上げる言葉を並べて相変わらず頭を下げる教頭を見つめながら、椿は馨と並んでソファに腰を下ろした。 馨が莫大な財力を持つ藤沢グループの跡継ぎであることや、葵がその息子であることは教頭も理解しているようだが、来訪の意図はやはり分からないらしい。葵を褒め称える言葉の羅列が途切れ始めた頃、馨がやっと助け舟を出した。

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