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act.6影踏スクランブル<129>
後部座席の窓からは、葵を誘うように白い手が伸び、揺れ始めた。もうどんなに気力を保っても走ることが出来なくなった葵はその手を掴むことだけを目的にフラフラと足を進める。
だがもう少しで触れられると葵が期待した瞬間、手は車内へと引っ込み、非情な声が響いた。
「出して」
男性にしては低すぎず、甘く澄んだ声音。顔は見えなかったがやはりその主は”パパ”だと確信出来た。だが喜んだのも束の間。急発進した車の後ろ姿を見送ってようやく置いていかれたことを悟った。
期待させて突き放す。そのやり口に何度も何度も弄ばれてきた。幼い記憶が鮮明に蘇ってくる。
最後の日もそうだった。初めは葵を連れて行ってくれると約束してくれたのだ。でも、大切なものを両手に抱えて自分なりの準備を整えた葵を一度は抱き上げたものの、やはりダメだと言い出した。葵がいい子でなかったから、パパの望むお人形ではないから、と。
初めからあっさりと独りにされたほうがよほどマシだった。今もそう。あのまま走り去ってくれたら、パパではなく別人だったという可能性に逃げることも出来たのだ。
制服を汚すことなどどうでもいい。葵は駐車場の砂利道に膝から崩れ落ちてただ泣くことしか出来なかった。あの日の疑似体験をさせられた心は簡単には落ち着きそうもない。
溢れる嗚咽を堪らえようと手の甲を当てれば、昨晩つけた傷を覆う絆創膏が唇に触れる。その上から歯を立てて生まれる痛みはぼやける頭が少しだけクリアになる。けれどこの癖こそがパパを怒らせてしまうのだ。
「ごめん、なさい……パパ、ゆるして」
胸を押さえて蹲りながら姿の見えない相手への謝罪を繰り返す。その気持ちが通じたのか、砂利を蹴る足音がこちらに近づいてきた。
もしかしたら帰ってきてくれたのだろうか。いや、期待したらその分だけ突き落とされてしまう。生まれる葛藤のせいで顔を上げることの出来ない葵の前で足音はピタリと止んだ。
かろうじて認識できるのは茶色の革靴。
「……汚れちゃうよ」
言葉とともに差し出された手は青白い。恐る恐る顔を上げると、ちょうど逆光になってしまいはっきりとは分からないものの、求めていた人物とは違うように思えた。けれど、視界をぼやけさせる涙と、酷くなる一方の耳鳴りのせいで正常な判別が付かなくなっている。
「一緒に行こう」
もう一度伸ばされた手。葵が求めていた言葉だった。思わずその手に自分の手を重ねれば、すぐに体が宙に浮く感覚がする。
何かが違う。頭の片隅ではそう警鐘が鳴るのだが、過呼吸の症状に陥っている葵には深く考え込むことが難しい。元々の睡眠不足に疲労が加わり、適度な揺れがどんどんと葵の意識を混濁させていった。
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