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act.6影踏スクランブル<134>

一ノ瀬は高ぶる気持ちを押さえ、倉庫内から葵の体を拘束するものを探し出した。もし一ノ瀬がこの場を離れている間に葵が目覚めてしまえば、きっと逃げ出してしまう。シラフで抱かれるのを嫌がる程恥ずかしがり屋な彼は一ノ瀬の帰りを待ってはくれないだろう。 新品の包帯で葵の両手を拘束してテーブルに括り付け、念の為足首にも同様の仕掛けを施した。これで起き上がることすら叶わないはず。口を塞ぐのは可哀想に思えたが、下手に助けを呼ばれても困る。これだけ見られたら、合意には見えないだろう。 「ちょっと辛いかもしれないけど、我慢するんだよ。すぐに戻ってくるからね」 外したばかりのネクタイを葵の唇に押し込めば、さすがに葵は苦しそうに嗚咽を漏らした。落ち着きかけていた呼吸がまた荒いものへと変化する。だが、起きる気配はまだない。 「いい子にね、葵くん」 汗ばんだ額を拭い、しばしのお別れを告げるとまた葵の喉が甘えるような音を鳴らした。 きっちりと施錠して倉庫を後にした一ノ瀬は、足早に生物室へと向かった。手紙と共に贈られたものだけではない。葵との初夜のために用意していたものが沢山あるのだ。葵に着せたいものもあったが、それはさすがに自宅にしかない。後でのお楽しみに取っておくことにしよう。 葵からの手紙が届き始めた矢先幸樹との情事を聞かされてからやりきれない欲望が一段と膨れ上がっていたが、ようやくそれが解放される。葵と愛し合える。 「一ノ瀬先生、ちょうどよかった」 必要なものを鞄に詰めて駆け出さんばかりの勢いで歩く一ノ瀬を唐突に呼び止めたのは同僚の教員だった。親しくもない彼が一ノ瀬に話し掛ける理由は読めている。 「今日の宿直、一ノ瀬先生一人でいけます?」 やはり、と一ノ瀬は思った。彼は一ノ瀬のことを格下に見ているのか、こうして無茶苦茶な相談をしてくるのだ。いつも断りはしないが、気分の良い顔もしてこなかった。だが、今日は違う。学園に残る人間が一人でも減れば、それだけ葵を外に連れ出しやすくなる。 「か、構いません、けど」 「警備員も居るんだし、本当はこんな古臭い当番なくなってほしいんですけどね。……ていうか一ノ瀬先生、彼女でもできたんですか?最近急に身なり整えて」 一ノ瀬が了承したことへの礼もなしに、同僚は不躾なことを聞いてくる。でもこれには胸を張って応えられる。 「ええ、可愛い恋人が出来ましたよ」 「へぇ、その彼女、物好きっすね」 馬鹿にするようなことを言われても腹は立たない。彼はきっと一ノ瀬の恋人が葵だと知ったら驚くに違いない。 宿直まではまだたっぷりと時間がある。味気ない倉庫で過ごすのは不本意だが、夜の見回りを終えるまでは葵に耐えてもらい、その後は一ノ瀬の家でじっくりとやり直せばいい。 思わず口元を緩めてしまう一ノ瀬を見て、同僚は薄気味悪そうな顔で肩を竦めて立ち去ってしまうが、その反応すらも不思議と気分の良いものだった。

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