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act.6影踏スクランブル<135>

* * * * * * 日中はこちらの事情を気遣い滅多に電話を掛けてくることのない相手からの連絡は、穂高を大いに驚かせた。 "葵くんはどこ?無事なの?" 珍しく余裕のない宮岡の話をよくよく聞くと、どうやら馨が葵を連れ去ったことになっているらしい。冬耶と京介からそれぞれ連絡を受けた宮岡が、さすがに耐えきれずに穂高へと電話してきたようだった。彼の話でこれから陽平が藤沢家に乗り込んでくるつもりなのだとも知った。 しかし穂高には全く身に覚えはない。学園を訪れ、学費を収めたことに関してはいずれ方々から連絡が来るだろうことは覚悟していたが、まさか葵を誘拐した罪に問われるとは思いもしなかった。犯人とされる馨は今、社長室でのんびりとくつろいでいるはずだ。葵と顔を合わさずとも戯れることが出来て随分機嫌が良い。 ただ葵が学園から姿を消したことは紛れも無い事実。馨でないとすれば犯人は誰なのか。いや、もしかしたら馨の仕打ちにショックを受けた葵が自ら……。 葵が学園の行事中に起こした悲劇は宮岡から聞かされていた。否が応でも穂高の頭に最悪の事態がよぎる。 穂高は馨が葵をからかうことを止めようとした。けれど、車を操作したのは馨に逆らう選択肢などまるでない新人の運転手。訳も分からぬまま馨の言う通りに運転し、葵をひどく傷つけた。 バックミラー越しに映った葵の泣き顔は、穂高に別れの日を思い起こさせた。また葵を守れなかった。そんな自分への嫌悪感で吐き気すら催してくる。 「顔色悪いね、働きすぎかな?」 穂高が口元を押さえて蹲ると、頭上から能天気な声がかかった。顔を見なくても声の主はわかる。穂高はすぐに姿勢を正して冷徹な秘書の体裁を保とうとした。 「穂高、休みをあげようか?」 「いえ、結構です。お見苦しいところをお見せして申し訳ございません」 頭を下げると、穂高の鈍色の髪は遠慮なしに撫でられた。だがそこにあるのは純粋な慈しみではない。 「葵とのお別れが寂しかったの?」 この問いに何と返せがいいのか穂高は珍しく正解を見いだせなかった。翡翠の瞳に見つめられて口を噤めば、馨は楽しげに笑う。 「私も寂しいよ。あのまま連れて帰れば良かったね。そうしたら穂高も泣かずに済んだのに」 「……私、は」 いつのまにか目尻を濡らしていた涙を慌てて拭おうとするが馨がそれを遮った。 馨に言いたいことは山程ある。あの日も、そして今日も。どうして葵の心を壊そうとするのか。なぜ息子としての愛情を注いでやれないのか。馨がほんの少しでも意識を変えてくれたなら、もっと違う未来が待っていたはずなのに。 だがそれを口に出すことは許されない。少なくとも穂高が藤沢家の使用人で居るうちは。 「ねぇ穂高。私の可愛いお人形を探さないと。なくなってしまったんだって」 まるで本当に葵を物のように表現する馨に、穂高はまた苦いものをこみ上げさせた。西名家からの連絡はどうやら馨の元にも届いたらしい。葵が居なくなったと聞いてもどこか楽しげに見えるのは何故だろう。

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