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act.6影踏スクランブル<136>
「パパのこと、探してるのかな?」
「どうでしょうか。私には分かりかねます」
答えながら穂高はその可能性があることにどこか納得していた。葵はまだ心も体も幼いけれど、それでも当時から比べればずっと成長している。藤沢家の邸宅までは調べるのは難しいだろうが、今穂高のいる会社はもちろんその所在地を公開しているのだからやってくるのも不可能ではない。
今まで何故その危険性を考えなかったのか。穂高の中ではまだあの日別れたままの幼い葵の印象が強すぎたのがいけない。
もし葵が一人泣きながらこの場所に現れたら。次こそはもうあの子を一人には出来そうもない。穂高のことを思い出さなくてもいい。ただ抱き締めて何からでも守ってやりたい。
「穂高、帰るよ」
穂高の淡い期待と覚悟を潰したのは馨の一言だった。
「……まだ仕事が。車なら別の人間に出させます」
「何言ってるのかな。穂高に私以上に優先する仕事なんてないはずだよ」
まるで穂高の心を見透かしているようだ。確かに馨よりも何かを大切にすることは穂高には許されないこと。だが穂高は葵に心を捧げている。葵以外に忠実な僕を演じきるのは限界があった。
だが、帰った先で西名家と話し合うのだと言われれば見過ごすことも出来ない。当主はまだ葵を馨に預けるのは早計だと言ってはいたが、いつその考えを翻すかも分からない。ある程度真っ当そうに見えたところで所詮この狂人を育てた人間だ。
「穂高、帰るよ」
もう一度、有無を言わさぬ声音が繰り返す。穂高には頷く以外の選択肢は与えられなかった。
「アンタ、馨のこと殺しそうな目してたよ」
身支度を整えてくるという馨が一旦社長室に戻るなり、いつのまにか現れた椿が愉快そうに囁いてくる。
「まぁそれも一つの方法かもね。もしアンタが馨を殺ったら、俺はこの家を継ぐよ。そうしたら葵は馨の人形としても、後継ぎとしても必要なくなる。安全だね」
天使のような顔立ちで、悪魔のようなことを言う。
馨を消し去ることを考えたことがないわけではない。だがそれでもまだ葵には藤沢家に利用される理由があるから行動に移せなかっただけ。椿のことを信用するわけではないが、この駆け引きを真剣に考えてもいいかもしれない。
「おいおい……本気にするなよ。ほんっとお堅いな、アンタ」
押し黙る穂高に椿は肩をすくめて諌めてきた。どうやら彼なりの笑えないジョーク、だったらしい。
確かに本気にするのは馬鹿らしい。でも穂高の頭には何故か自分が馨を殺める光景が何度もリピートされる。
もし次に葵を傷つけたらその時は。いや、もう十分に待った。
「穂高、行くよ。あぁ椿も来たいの?本当にパパっ子だね」
「誰が。俺は興味ないから」
馨と椿がいつもの応酬を始めるが、穂高はずっといけない妄想に取り憑かれていた。葵に誓った忠誠をいつか果たしたいと願う気持ちが強すぎるのだ。それは自覚している。
「なぁ、本当に馬鹿なことはするなよ。ふざけたことは謝るから」
去り際に椿はもう一度穂高に釘を刺して来た。悪人になりきれないところはやはり穂高からすればまだまだ子供だ。
「貴方のせいにはしませんよ」
安堵させるために紡いだ言葉は椿の顔をますます難しくさせた。だがそれ以上椿の物言いたげな視線に応えることはしない。
「お待たせしました、社長」
穂高は馨の秘書としての表情を取り戻し、仮初めの主人にニコリと笑ってみせた。
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