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act.6影踏スクランブル<139>*

「ん……うぅッ、ん」 いつも触れられればそこは蕩けそうな程熱くなるのに、今はただ気持ち悪くて仕方なかった。触れられたくない。嫌で嫌で、くぐもった嗚咽だけが塞がれた唇から溢れていく。 足を閉じようともがくけれど、それはただジャラジャラと冷たい鎖を揺らす音が響いただけ。一ノ瀬の短く整えられた髪が内腿をくすぐってくる。 今までも似た行為は皆にされてきた。そのたびに嫌だと泣いてばかりいたけれど、今はそれと全く違う。大好きな彼等に触れられて泣きたくなったのは、痺れるような感覚に溺れるのが怖くて、恥ずかしくて堪らなかったのだ。今溢れる涙とは明らかに種類が違う。 生温い舌が這い回るたびに湧き上がる感覚も、あの甘い痺れではなく、ひどい不快感。 これは好きな人とする行為ではないのか。葵を穏やかな眠りへと導くおまじないであるはずもない。 「う…ひッ…んん」 泣きじゃくるたびに、微かな酸素が胸を満たすけれど、その浅い呼吸は葵に再び過呼吸の症状を呼び起こさせる。 「葵くん、どうしたの?苦しい?うーん、びっくりしちゃったのかな」 葵の呼吸が激しくなってきたことに気が付いた一ノ瀬はようやく顔を上げてくれた。ずるりと彼の唇から溢れた自身はテラテラと唾液で光っているけれど、だらりと力を失ったまま。 「感じにくいのかな?……あぁ、だからお薬使ってるんだね。気づかなくてごめん」 これで終わりだと淡い期待を抱いた葵に、一ノ瀬は何故か一人納得した素振りで濃い茶色のガラス瓶を取り出した。蓋を開け、それを葵の鼻先へと当ててくる。 ふわりと香る甘ったるい匂い。嫌なものではなかったが、得体の知れないものを吸わされるのは怖い。顔を反らそうとしたが、その前に一ノ瀬が葵の顎を掴んで固定してきた。 「ん、んーッ」 「そんなに吸っちゃって大丈夫?いつもそのぐらいなの?」 汗ばむ葵の額や頬を撫でながら、一ノ瀬が問いかけてくるが答える余裕などなかった。一気に鼻先を通って肺に入り込んできた気体はムカムカとした吐き気と目眩を引き起こす。 先程からまるで一ノ瀬は葵の知らない葵と会話しているような素振りだ。今だって葵がこれを普段から使っているような口調。何かがおかしい。そう思うのに、体を蝕む甘すぎる香りが思考を溶かし始めた。 「んッ、はぁ…ん」 「可愛い、すぐ効き目が出るんだね。本当に可愛いよ、葵くん」 さっきまでとは違う。一ノ瀬の手が葵の肌を撫でるたびに、背中がビクビクと跳ねる。一ノ瀬の唾液、ではない。とろりと内腿を伝う粘液の感触までした。耐えきれずに身を捩るたびに薄い肌を擦るベルトにすら、熱い吐息が溢れてしまう。 「このまま可愛がってあげたいけど、お仕置きが先だからね。いい子に待っててね」 葵の反応に気を良くした一ノ瀬は、また満面の笑みで見下ろしてきた。その手にはまた新たな玩具が握られている。まだ逃げられない。葵はせめてもの抵抗として彼を視界に入れないよう、固く目を瞑ってみせた。

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