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act.6影踏スクランブル<148>

* * * * * * 目の前の光景がしばらく理解出来なかった。あの暴君が葵を腕に抱いている。それも葵が”寒い”とごねたのを聞いて自分の着ていたパーカーで包んでさえいるのだ。あまりにも想像を絶する事態。 一ノ瀬の後をつけて校舎裏にやってくる間、未里はまさかこんなことになるとは思いもしなかった。 ”恋人”が出来たと同僚に話していた一ノ瀬の浮かれた姿を見て、早速彼が実行に移した、もしくは移すつもりなのだと察してずっと彼の様子を伺っていたのだ。本来なら葵は一ノ瀬に滅茶苦茶に犯され、傷ついていなくてはいけない。 それなのに、寮監と消灯時間の見回りを終えた一ノ瀬が向かった倉庫の中で葵は若葉の手中にあった。どうやら一ノ瀬が事前に葵をこの場に捕らえておいたらしいことは察しがついたが、それを何故若葉が助けたのかが分からない。 未里は軽いパニックに陥っていた。そのぐらい、あの男がこんな行動をとることがおかしすぎるのだ。いつも若葉は未里を抱く時も顔すら見ようとしない。ただ慣らしもせずに背後から未里を貫くだけ。あんな風に抱き締められたことなど一度もない。 もちろん未里が心を捧げているのは奈央。若葉に恋をしているわけではなかったが、金ありきの付き合いとはいえあの恐ろしい男の近くに居て会話が出来るという立ち位置は未里の自尊心を満たしていたのだ。少なからず若葉は自分を気に入っていると、そんなことも考えていた。それすら、葵は簡単に崩してみせた。 どこまで惨めな気持ちにさせれば気が済むのだろうか。唇を強く噛んだところで悔しさはちっとも紛れない。それでも夜風に当たるうちに頭は冷静さを取り戻してくる。 未里は若葉達の姿が完全に見えなくなってから、倉庫へと近付いた。扉に掛けられた鍵は奇妙な形に拗じられ、素手では到底破ることは出来なそうだが、幸い、ペンチは地面に放り投げられたまま。 「なんで未里がこんなこと」 文句の一つでも言いたくなる。このまま閉じ込めておいても未里にとっては痛くも痒くもないが、中の状態が気になったのだ。 薄暗い倉庫の中を恐る恐る覗けば、一ノ瀬は床に蹲り嗚咽を漏らしながら泣いていた。その手には未里が送った手紙が握られている。元々葵と恋愛をしている妄想に取り憑かれていた彼は、手紙の差出人が未里だなんて疑いもしていない。 「葵くん、どうして……」 悟られないようそれなりに距離を離して尾行していたおかげで、倉庫内で一ノ瀬と若葉の間にどんなやりとりが繰り広げられていたか、未里は知り得なかった。だが、一ノ瀬が若葉に対し、葵とは合意の上だと主張しているのだけは聞こえた。愛の営みを若葉に邪魔された挙げ句、葵本人からも拒絶され、絶望に打ちひしがれているに違いない。 未里の駒にするには、彼は少々重症過ぎた。 二番目の駒として利用したかった若葉も、元々未里の計画に乗り気ではないどころか葵をああして保護する素振りをみせている。完全に台無しだ。 それに問題なのは若葉には未里が葵を潰したがっていることがバレている。若葉が好き好んで葵本人やその周囲と関わることはないと踏んで持ちかけた話だったが、葵とあんな形で接触を持ってしまえばどう転ぶか分からない。 「ヤバイ、かも」 一ノ瀬がこの先どうなろうとどうでもいい。だが、未里はこの学園から追放されたら困るのだ。奈央にこの悪事がバレて軽蔑されるのも恐ろしい。 いずれ自分も一ノ瀬のように絶望に咽び泣く日が来るのではないか。未里は初めて自分のしでかしたことの代償に体を震わせる。けれど頭の中ではまだ葵への次なる報復を考え始めているのだった。

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