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act.6影踏スクランブル<157>

葵を拐った犯人が馨でないと連絡が入ってから、京介は頭のどこかでその可能性を考えていなかったわけではない。でも必死に否定していた。そんな訳がないと思い込みたかった。 葵はきっと訳も分からず怖くて仕方なかっただろう。泣いて泣いて、京介のことも呼んでいたに違いない。 “京ちゃんはヒーローだね” 泣いている葵の前に現れると、時折葵がそんなことを言ってくることがあった。葵の中で自分は正義の味方だったらしい。気恥ずかしい台詞だったが、満更でもなかった。葵を守っている、そんな自負があったからだ。 でもこれではヒーロー失格だ。葵を助けてやれなかった。 目眩のあまり台に手を付いた京介に、ポケットの携帯が振動を伝えてきた。京介は痛むこめかみを押さえながら、ディスプレイを操作して電話に出る。 『ほんの僅かな影だが、校門近くのカメラに西名さんの姿があった』 電話の相手は忍で、彼はやはり冬耶がここに来ていたことを教えてくれた。だがもう一つ衝撃的なことを告げてくる。 『それから、同じ場所で少し見切れてはいたが赤い髪も見えた』 「赤い髪ってまさか」 『あぁ、九夜だ。その少し前にカードキーを使って校門を通過しているし、西名さんが出て行った後、九夜の車も外に出たことが確認できた』 やはりあの時ぶん殴っておけば良かった。いくら後悔してもしたりない。だが、更に言葉を続けようとする忍を遮ったのは、突然立ち上がった都古だった。 「……殺す」 さっきまで脱力していた彼ではない。その切れ長の目には確かな殺意が見えた。こちらの会話を耳にしていたらしい。葵を襲う可能性のある赤髪といえば、若葉だということぐらいは都古も認識していたようだ。 『九夜が現れた時間と、葵が消えた時間に整合性がないことから考えると、葵を初めに拐ったのは誰か別の……』 こちらの状況を察した忍はそう続けてくるが、生憎既に走り出した都古には届かない。 「やばい、都古が切れた、幸樹呼んで」 いくら元々怪我を負っているとはいえ、完全に制御を失いブチ切れた彼を京介一人で封じる自信はない。京介は電話の先の忍にそう頼むと、寮の方向に走った都古の後を追いかけた。 一体奴は京介をどれだけ走らせれば気が済むのだろうか。紅紐に結われた黒髪は物凄いスピードで遠ざかっていくが、京介も限界を訴える足に鞭打ち、必死に後を追いかける。 体力は都古よりもあるはずだし、重傷を負っている都古が元気なわけがない。でも今は怒りでリミッターが外れた状態なのだろう。 ようやく追いついた時には既に都古は寮監の部屋に押し入り、若葉の居場所を吐き出させようと掴みかかっているところだった。

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