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act.6影踏スクランブル<166>
「……はぁッ」
「そんなに慌てなくて構いませんよ。急ぐとむせちゃうから」
五百ミリのボトルの中身が半分ほど無くなった時点で、宮岡は一度葵の口元からストローを外させた。名残惜しそうに濡れた唇がぱくぱくとわななくが、一気に飲ませるのも宜しくはない。
「お腹は空いてますか?何か食べられそうなら用意するよ」
ここまで飲めるなら、そう期待して提案してみたが、食欲はないらしい。葵は首を横に振って拒んでみせる。冬耶の手でトントンと一定のリズムで背中を叩かれるのが気持ち良いのか、葵は眠そうに瞬きを繰り返し始めた。このまま寝かせてもいいが、体調の確認だけはしておきたい。
「少し熱っぽいね。頭が痛いとか、気持ち悪いとかあります?」
「んー……どっちも。あと、ここ」
「あぁやっぱりそこ痛いよね。一応湿布貼って固定はしておいたけど、明日ちゃんと診てもらおうか」
葵が指し示したのは自身の左足首だった。無理な体勢で捻ったのか、赤く腫れあがっていて痛々しい。熱の発信源ももしかしたらここなのかもしれない。
鎮痛剤や解熱剤を与えて楽にしてやりたいが、得体の知れないものを与えられている状態らしい葵に薬を重ねさせたくはなかった。せいぜい冷却シートを葵の額に貼ってやるのが限度だ。たったそれだけでも心地よさそうな顔をする葵に、胸の締め付けられる思いがする。
「あーちゃん、もう少し眠ろうか」
冬耶にそう促されて、葵の瞼がますます重たそうになってくる。小さな欠伸を繰り返し、そして静かに眠りに落ちていった。それを愛おしそうに見つめている冬耶の顔には、兄としてではない感情が滲んでいるように見える。
「次に目覚めたときには多分あーちゃん、強がる気がします。何も無かったように振る舞うんだろうな」
寝息を立て始めた葵をゆっくりとベッドに寝かしつけた冬耶は、寂しげにぽつりと漏らした。まだ葵との付き合いが浅い宮岡にも、彼の言うことが分かる気がする。
自分の身に何が起こったか、言葉にして訴えられるとは思えなかった。そもそも、恋愛にすら年不相応な度合いで疎い葵のことだ。暴行の意味も、意図も、理解できていないだろう。それだけに、宮岡も葵をどこからどう癒やして良いものか悩ましくもあった。
「いつもそうなんです。この子の強がりを無理に暴くのも傷付ける気がして、ある程度黙認してましたけど。今回はちょっと、見逃せないな」
涙の跡が残る葵の頬を撫でながら、冬耶はため息混じりにそう告げた。彼が良き兄として様々なものを飲み込んでいることは、宮岡にも容易に予想がつく。
「……冬耶くん、これからどうするつもりだい?」
葵に危害を加えた相手への制裁を考えているらしいことは、先程聞かされていた。強い怒りを滲ませる冬耶を放って置くのは危険に思える。
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