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act.6影踏スクランブル<171>

* * * * * * 昨夜の出来事は幻だったのだろうか。ふとそんなことを考えてしまうほど、学園は平穏そのもの。だが今朝寮の食堂にも、二年の教室にも葵の姿はない。聖にとっての日常がそこにはなかった。 ついでのように京介の教室を覗いてみても、朝から来ていないとだけ、名も知らぬ上級生が面倒そうに教えてくれる。 「西名先輩も休みってことは家帰ってんのかな?」 「……だろうね。ていうか、昨日何があったんだろマジで」 やることがなくなり、自分たちの教室に戻る道すがら、考えることは昨晩の出来事。最後に葵と共に居た聖と爽は、責任を感じてはいるものの、その後葵の身に何があったのかを誰も伝えてくれないどころか、双子が葵から目を離したことを責めもしない。いたたまれない気分だった。 都古の尋常でないキレっぷりを目の当たりにすれば、葵が酷い目に遭ったことは簡単に予想がつく。が、それを知らされないのは除け者にされている気分だった。 年下で、新参者で。何も役に立てないことは頭では理解しているものの、やりきれない。 三限の始まりを告げるチャイムが鳴るまではもう少しだけ時間がある。惰性で次の授業の教科書を机に並べながらも、頭の中は葵のことでいっぱいだった。とてもおとなしく授業を受けている場合ではない。 生徒会のサポートを始めた手前、授業や行事にはきちんと参加するよう役員たちから口酸っぱく言われてきたが、今日ぐらいはいいだろう。 「なぁ、爽。このあと……」 サボろう、そう持ちかけようとした時、聖はスラックスのポケットに突っ込んだ携帯が震えるのを感じ、言葉を止めた。もしかしたら冬耶や京介から返事が来たのかも。そう期待して急いで携帯の画面をひらけば、それは登録されていないアドレスからのコンタクトだった。 「んー何?」 「いや、何でもない。ちょっとトイレ」 中途半端に話しかけられたままの爽が痺れを切らして問いかけてきたが、聖はそれを受け流して席を立った。メールの送り主も、内容も、爽に隠す必要はない。が、なぜか思わず教室を飛び出してきてしまった。 廊下の端にある非常階段への扉を開けてようやく、聖はもう一度携帯を取り出した。 “今度一緒に仕事しない?” 挨拶などなく、ただそんな一言しか書かれていないが、文末の署名を見て送り主はすぐに分かった。 “Kaoru.F” 知り合いに“カオル”という名は一人しか思いつかない。母の知り合いで、それなりに有名なカメラマン。爽と共にブランドの宣材用写真も撮影してもらったばかりだ。 だが、こうしてわざわざ聖に直接連絡を入れてきた、ということは、聖が今単独での仕事を探していると知ったから、なのだろう。 “それは俺一人でって意味ですか?” 不躾だと母に叱られそうだが、それはお互い様だ。聖がそう返してみると、すぐに返事が返ってきた。

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