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act.6影踏スクランブル<172>

“もちろん、聖くんと仕事がしたい。” どんな仕事かも教えてくれない不親切さだが、妙に魅惑的な誘いだった。だが馨の写真の出来栄えを気に入っている爽に内緒で事を進めるのはいささか気が引ける。 そもそも馨は何者なのか。アーティストとして“K”という名を名乗っていることと、下の名前しか知らない。 「Fがつく名字っていったら、今は藤沢しか思いつかないんだけど」 三限が始まるチャイムを聞きながら、聖は非常階段の手すりに身を預けた。ちょうど一つ上の学年がグラウンドで体育の授業を始めるらしい。その光景を見ながら、聖は馨の顔を思い返してみた。 アーモンド型の瞳。小ぶりながらも、日本人の平均からすると少し高めの鼻。形のいい眉。薄い、けれど柔らかそうな唇。色素の薄い肌。そのどれも、既視感がある。 聖たちと同じぐらいの年齢の子供がいる。そう言って笑ってみせた馨の表情も思い出した。 「まさか、ね……」 胸騒ぎを必死に押し殺しながら、聖は母親に電話を掛けた。仕事中だから手短に、と前置きはあったものの、リエは聖の質問に答えてくれる。 『馨さんの名字?呆れた、誰か知らないで話してたの』 「そっちが教えてくれなかったんじゃん。で、何?」 『藤沢。藤沢馨さん。ちゃんと覚えておきなさい』 聖の用がそれだけだと知ると、リエはすぐに電話を切ってしまった。だがしばらく聖は会話が途切れたことにも気が付かなかった。 葵と同じ名字。似た顔立ち。こんな偶然があるのだろうか。 連休中に訪れた西名家の隣にあった葵の実家らしき邸宅は、長年人が立ち入った気配が全くなく荒れていた。西名家で見せてもらったアルバムも、随分と幼い頃から葵が家族の一員として加わっていたことが垣間見える。どう考えても、葵と実の家族との間に何かが起こったことを示しているように思えた。 ────馨さんが葵先輩の父親だったら……? 一体何がどうなるのだろうか。 混乱した頭では、馨との接触が何を生み出すのか、想像すら出来ない。良いことなのか、悪いことなのか。 それにこの推理が正しいかどうかももちろんだが、まだ気になることがある。 馨が葵の父親だったとして、馨は聖が葵と同じ学校に通っている事実を知っているのだろうか。知っていて近づいてきたのならその目的は何なのか。 “サボんの?腹痛?” 授業が始まっても戻って来ない聖を心配して、爽からはそんなメッセージが届く。茶化すようなスタンプも続けざまに送られてきて、聖は思わず口元を緩めるが、すぐにまた表情を陰らせた。 弟に話すべきか否か。迷った挙句、聖は再び馨へのメールを打ち始めた。 “仕事の話、直接聞かせてください” 聖が選んだのは、一人で馨に接触することだった。 爽は最近放課後はいつも、櫻が使っている音楽室に入り浸っている。自分のやりたいことを見つけて突き進む彼を羨む気持ちはあるが、邪魔はしたくない。ただでさえ、昨晩のことでショックを受けている爽を余計な混乱に巻き込みたくはなかった。 そもそも、聖の考えすぎで話が終わるならそれでいいのだ。 馨からは間を空けず返事が来た。日時と場所を指定する内容に、聖はただ了解の旨だけ返し、携帯の画面を閉じた。

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