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act.6影踏スクランブル<180>

「ごめん、違うよ。嫌じゃない。違う」 「うん、大丈夫」 都古をやんわりと拒んだ事実を取り繕うように、葵からはすぐに腕が回ってきて、きつく抱きすくめられる。都古はそれを受け入れながら、やり場のない怒りが湧き上がるのをジッと堪えた。葵を傷つけた誰かを、都古が今責め立てたところで、葵を余計に困惑させる。そのくらいの分別はつく。 しばらくそうして身動きもとらずに抱きつかれるままにしていると、葵が泣き出したのが分かった。小さく押し殺された嗚咽が、切なくて仕方ない。もっと思うままに感情をぶつけてくれて構わないというのに、こんな時すら一人で抱え込もうとするのだ。 「アオ、俺も……」 葵をどう慰めたらいいのだろう。口下手な自分に思いつくのは、己の体験を打ち明けること。葵の気持ちが痛いほどわかると、共感してやること。 だが、恋い焦がれる相手にだけは知られたくないと、京介や冬耶に頭を下げてまで隠し通してきた事実。忘れたつもりになって封じ込めた記憶を遡らせるのも辛い。葵に全て捧げると決めたはずが、まだ覚悟が足りないのかもしれない。 「俺も、同じ、だから」 「同じって?」 都古の肩口に押し付けていた顔を上げ、蜂蜜色の濡れた瞳がこちらを見つめてくる。だが、彼は何故か都古の返事を待たず、頬に手を添えてきた。 「みゃーちゃん、辛そうな顔してる」 感情が読めない、無表情だと皆から言われるというのに、葵だけはこうしてあっさりと汲み取ってくる。 「あぁ……そっか」 己の考えが浅はかだと気が付いた。都古がもし自身の経験を打ち明けたとしても、葵はきっと安心するどころか、自分のことなどそっちのけで都古を癒してくれようとするに違いない。そんな葵だから、都古は彼を無心で愛せる。 「辛くない。アオと二人、嬉しい」 頬を撫でてくる葵の手に、自らも擦り付けて応えれば、葵はくすぐったそうに微笑んでくれた。確かめるようにゆっくりと背中に手を回しても、今度は怖がらずに身を任せてもくれる。 この小さな体に何をされたのか。抱き締めながら都古はやはり、心の奥底で怒りが燻るのを感じる。だがそんな感情を悟らせる失敗はもうしない。 「また眠くなっちゃいそう。みゃーちゃん、あったかいから」 微睡むのは、葵の混乱が落ち着きはじめた証拠。 階下からまた少し京介の怒鳴り声が聞こえてくる。それを夢うつつの葵に気づかせぬよう、都古は葵を腕の中に閉じ込め、それとなく耳を塞いでみせる。 「みゃ、ちゃん」 「ん、おやすみ」 今はどれだけ眠っても眠り足りないほど疲労しているのだろう。葵が呼んだのが京介ではなく、自分であることにホッとしながら、都古はもう一度葵を夢の中へと誘った。

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