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act.6影踏スクランブル<186>

「着替えはこっちにあるから、そんなにいらねぇよな」 「ねぇ京ちゃん、明日は行くから、大丈夫だよ」 「……お前それ、本気で言ってる?」 ようやく京介としっかり目が合った。恐いと思われがちな彼だが、葵の顔を覗き込んでくる焦げ茶の瞳は、優しい色に満ちている。 「しばらく安静にしてろって、医者に言われたんじゃねぇの?」 「授業受けるぐらい、問題ないよ」 「まともに歩けねぇだろ。どうすんの」 「……それは、ちょっと手伝ってほしい、けど」 支えとして少し腕を貸してもらえれば歩行に支障はない。手を借りなくてはならない気まずさはあるが、葵は主張を変えずに言い返してみせた。 すると京介は一つ溜め息をつき、そして葵の頬に触れてきた。自分のものとはまるきり違う、無骨な手は葵に安心感を与えてくれる。だが、向けられた言葉は葵を大きく動揺させた。 「じゃあ登校するとしてさ、制服は?シャツしかない。革靴も片っぽだけ。他はどこにやった?」 「京介!」 咎めるような都古の声が耳に痛い。 「アオ、俺と休も。ずっと一緒。ね?」 京介の言うことは何も聞かなくていい。そう言いたげに都古は葵を宥めてくるが、自然と湧き上がってくる震えはなかなか治らない。 気が付いた時にはシャツを羽織り、下着だけを身につけている状態だった。その下着さえも、切り取られたことを思い出す。 暗い室内で、月明かりを反射したハサミの刃先も。その奥で光る一ノ瀬の瞳も。リアルに蘇ってくる。 「葵、なんでついてった?気を付けろって何度も言ったよな?」 京介は誰が元凶か、分かっている口ぶりだった。冬耶にも宮岡にも、葵はその名を告げてはいないはず。 「責めんな。アオ、悪くない」 「責めてるわけじゃねぇよ」 「そう聞こえる」 葵を挟んで、京介と都古が言い合いを始めるが、それすらもまともに耳に入ってこなかった。 葵だって、どこか不気味な空気を纏う一ノ瀬と二人きりになるのは苦手だった。体育の授業中ににじり寄ってきた彼が、葵に覚えのないことばかり口にして迫ってきたことも恐怖心を煽ってきた。 だから葵自身、なぜ一ノ瀬に捕らえられたのか、記憶が曖昧だった。 無我夢中で馨を求め、来客用の駐車場まで走ったことはよく覚えている。その後、何が起こったのか。葵は二人の諍いのあいだで、目をそっと瞑って記憶を蘇らせる。確かな記憶からゆっくりと糸を手繰り寄せていくのは、宮岡とのカウンセリングでいつも行う手法だった。

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