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act.6影踏スクランブル<192>

それに、手紙の内容がかろうじて日常会話の範疇なのも違和感がある。これが一ノ瀬を好きだとか、愛してるとか、ストレートなラブレターであれば、一ノ瀬の妄想の産物だと素直に思えるのだが。 昨晩のことを問い詰めるなかで、一ノ瀬は何度も、葵とは合意の上の行為だと主張してきた。二人は恋人で、愛し合っているのだと。根拠として示してきたのがこの手紙だった。その結論に結びつけるためにわざわざ作り上げたとしたらやはり一ノ瀬は相当に危ない人物だが、もし誰かがこれを一ノ瀬に授けたのだとしたら見過ごせない。 しかし、一ノ瀬が書いたという可能性以外を完全に思い浮かべていない様子の京介を、これ以上幸樹の推測に付き合わせるわけにはいかないだろう。 すっかり日が沈み、闇に溶け始めた空を見渡した京介は、葵が待ってるから、なんて妬けることを言って一度は腰を上げた。だが、ふと何かを思い出したかのように、もう一度幸樹の正面に座り込んだ。 「なぁ……そのビデオに、若葉は映ってたか?」 京介が口にした人物に関して、できれば幸樹は触れないまま終わりたかった。だがやはりそういうわけにはいかないだろう。幸樹はどこまでを彼に話すべきか、慎重に選びながら返事をする。 「一ノ瀬が外した隙に忍び込んだみたい。んで、美味しそうだから持って帰っちゃおうって感じで倉庫出てったとこまでは分かった。何が若葉の気ぃ引いたんか分からんけど」 「兄貴は自分のせいだっつってたけど」 「んー……どうやろ」 映像の中では、少なくとも若葉は冬耶の名は一度も口にしなかったし、敵対する冬耶が大切にしている存在だから苛めてやろうなんて空気も感じられなかった。それどころか、あれを観る限りはかなり気に入ってしまったようだ。 あの猛獣ならば、無抵抗ですっかり下ごしらえの済んだ獲物を前に、遠慮などしそうにない。だが、彼は水を欲しがる葵に口移しまでして、震える体を抱きしめてやっていた。以前若葉の口から葵の名が出た時にはうまく気を逸らせたが、あの様子ではもう同じ手は使えないだろう。 とにかく若葉に気をつけるよう告げれば、京介は当たり前だと言い切って今度こそ本当に屋上から去って行った。 彼の足音が完全に聞こえなくなってようやく、幸樹はアスファルトに体を横たえる。体力は存分にあるほうだが、昨晩から動き続け、さすがに疲れを感じていた。

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