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act.6影踏スクランブル<193>

“使えない番犬だネ、お前” 蘇るのは、数時間前に若葉から吐き捨てられた言葉。京介には伝えなかったが、彼とは一ノ瀬の自宅で顔を合わせていた。もちろん、幸樹が呼んだわけではない。彼が勝手にやってきたのだ。 そこで若葉は初等部時代から撮り溜められた葵の写真や、中等部の体操着など、長年一ノ瀬が葵を思い続けてきた証拠を目にし、さっきの言葉を投げつけてきた。 若葉はよく幸樹を犬に例えてくる。冬耶の率いる生徒会に属していたことが、彼に“西名の犬”という印象を植えつけたようだ。若葉からしたら、これだけあからさまな危険人物を野放しにしていた幸樹は無能でしかないのだろう。 防ぐことも出来なければ、葵を見つけることも出来なかった。その役目を若葉に奪われた幸樹は反論しようがない。 若葉は“なぜ一ノ瀬の家に現れたのか”という幸樹の問いかけには何も答えず、ひとしきり部屋を見て回り、納得したように出て行った。手土産のように壁に貼られていた葵の写真を数枚持ち去って行ったが、何が目的だったのかはさっぱりわからない。 “若、ようやく登校する気になったようです。ぜひ仲良くしてさしあげてください” それまで無言で立ち会っていた若葉の側近、徹が最後に残した言葉もいやに耳に残っている。謹慎が明けてもまともに登校などしたことのない彼の心変わりの理由は、まず間違いなく葵だ。 若葉は幸樹の知る限り、最も狡猾で残虐な男。葵自身も心配ではあるが、あの態度を見れば傷つけることが目的では無さそうだ。それよりも気がかりなのは、葵を守ろうとする周りの存在だ。邪魔する者に対し、若葉は手加減などしないだろう。 「……あかん、守りきれんわ、そんなん」 傷つけられたら困る存在があまりに多すぎて、柄にもなく弱音が溢れてくる。自分は少し、温い場所に居すぎたらしい。 幼い頃から、周りと馴れ合いすぎるなと、そう親から教えられてきた。家柄のことで周りから避けられる学生時代を送ってきた親なりのアドバイスだ。その教えに歯向かった時期もあったが、結局は父の言う通り、自分が傷つくだけ。何度も痛い目を見て思い知ったはずなのに、学習しない自分に腹が立つ。 いつのまにか、完全に濃紺になった空に、星が浮かんでいた。この辺り一帯は、学園の敷地が広がる他は、閑静な住宅街で遮るものが何もないせいか、空が随分と広く見える。 「三人で行きたいなぁ」 夜空を見ながら思うのは、昨晩改めて奈央に約束したこと。葵の大切な場所であるプラネタリム。それを守りたいと願う奈央。早く叶えてやりたいと、そう思う。 そのためにまずすべきことは何か。ここで考えていても仕方がない。 幸樹は鉛のように重たい体をようやく起こし、予定以上に長居した屋上を後にした。

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