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act.7昏迷ノスタルジア<1>

* * * * * * “いってらっしゃい”、そう言って誰かを見送ることはいくつになってもあまり好きになれなかった。帰ってくると頭では分かっていても、だ。 賑やかな朝食が終わると、まず京介が通学のために出て行き、続いて陽平も仕事に向かってしまった。冬耶は朝一番の授業はないからと、二人に比べたらゆっくり身支度を整えていたが、ついさっき出掛けて行った。 「寂しい?」 小さくなる車の影をいつまでも見つめていると、都古にそう問われる。でも葵は首を横に振った。まだ自力で歩けない葵のために、都古はずっと葵を抱き上げたまま移動してくれる。さすがに見送りに出るときは降ろしてもらったが、そのおかげで寂しさは随分と紛れている。 「みゃーちゃん、お庭行きたい」 玄関へ戻ろうとする都古を止め、葵は寄り道を提案した。このまま真っ直ぐ部屋に帰る気にはなれなかったのだ。 紗耶香がガーデニングを趣味にしているため、西名家の庭は季節ごとに色あざやかな花々が咲き誇る。今の時期は赤や白、オレンジのポピーの花が満開を迎えていた。 「雛芥子、咲いたね」 「ヒナゲシ?ポピーじゃないの?」 「ポピーは、沢山種類、ある」 都古曰く、この庭にはポピーと呼ばれる花が数種類あるらしい。ヒナゲシと都古が呼んだもの以外に、ハナビシソウや、オニゲシという名の花を一つ一つ紹介してくれる。小さい頃から花の図鑑ばかり読んでいたという彼は、花には詳しい。 ウッドデッキのベンチに葵を下ろした都古は、再び一人で花の元へ向かうと地面に落ちていた赤色のヒナゲシを手に戻ってくる。 「“思いやり”」 そう言いながら、葵の髪に花を差してきた都古の表情は甘く柔らかい。 「花言葉?」 「そう。あと、“恋の予感”とか?」 都古はどこか悪戯っぽい顔で補足してくる。都古のこんな一面はきっと自分以外に誰も知らない。花を摘むのすら躊躇う彼が、望んで人を傷つけるわけなどないのに、どうして誰もわかってくれないのだろう。隣に座ってきた都古の傷だらけの手を見て、葵は胸を痛ませる。 たまたま謹慎中だったから、こうして彼は葵の傍に居てくれる。ありがたい反面、彼がなぜ派手な喧嘩を起こしたかは分からないまま。何度聞いても彼は適当にはぐらかしてばかり。

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