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act.7昏迷ノスタルジア<4>
「パパが、くれた」
それだけで、なんの変哲も無い制服が特別なもののように思えてくる。でもどうして葵が制服を欲しがっていると、馨は知っていたのか。冬耶が伝えたのだろうか。少しずつ冷静になるにつれて、涙の種類が変わってくる。
連休中に何度か顔を合わせたサングラスの男は、葵がプラネタリウムに行っている間、陽平と冬耶が馨に会っていたと教えてきた。藤沢家が葵の養育費として莫大な額の金を、西名家に渡しているとも言っていた。それが、西名家が葵の面倒をみるメリットだ、と。
「お兄ちゃんが、パパに頼んだのかな」
「……違うと、思う」
制服一式揃えるには随分お金が掛かることは分かっている。そう考えて口にした可能性は、都古に遠慮がちにではあるが否定された。でもそれでは、制服がここにある意味がわからない。あまりにも完成が早すぎるのも疑問だ。冬耶の話では一週間以上掛かる可能性があると言っていたのに。
そもそも一昨日馨が学園にいた理由も解決していない。両親や冬耶、京介に何度も尋ねようと思ったが、言葉が出てこなかった。葵が馨を見かけたと知っても、彼らから何か言われることもない。
触れるべきでない話題なのは察している。でも本当にこのままでいいのだろうか。
西名家の愛情を信じるのが怖くなり、櫻に我儘を言ってまで忍の家に逃げ込んだのは遠い昔の話ではない。分からないことが増えるたびに、またじわじわと恐怖が蘇る。
────大丈夫、信じてる。
あの男が言ったことが真実なわけがない。馨が現れたことも、それに誰も触れないことも、事情があるに違いない。自分に言い聞かせると、落ち着くどころか不思議と呼吸が浅くなっていく。それに気が付いた都古が体を寄り添わせてくれるから、震えは幾分かマシになるが、湧き上がる不安が消えるわけではない。
「勉強、しよっか」
涙を拭い、一呼吸置いて極力明るい声を出してみる。都古にこれ以上心配をかけたくはない。うじうじと悩んでばかりもやめにしたい。
「アオ、無理、しないで」
「無理なんてしてないよ。お兄ちゃんが帰ってきたら、ちゃんと話してみるから」
制服のことだけではない。話すべきことは他にもあるはずだ。
「……ずっと、一緒だから」
葵の不安を見透かしたように、都古はそう言ってコツンと額を合わせてきた。その拍子に都古が飾ってくれた赤いヒナゲシもふわりと揺れて、葵の耳元をくすぐってくる。キスの代わりの触れ合いは陽だまりのように優しかった。
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