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act.7昏迷ノスタルジア<5>

* * * * * * 灰色の長テーブルとパイプ椅子。それだけが置かれた部屋は、足を踏み入れると窮屈に感じられるほど狭い。髪を派手な色に染めたり、喫煙が見つかったり、揉め事を起こすたび連行されたこの部屋は、何度来ても居心地が悪かった。しかし、今日に限って京介は逃げ出す気にはならない。目の前の教員が、生徒指導の担当でも何でもなく、葵のクラスの担任だからだ。 一限の授業を当たり前のようにサボろうとした京介に、彼はなぜか声を掛け、この部屋へと誘ってきた。葵は優しくて良い先生だと言っていたが、京介からすれば印象の薄い教員だ。名前が何かすら記憶が朧げだ。 「突然悪かったね。少し、話したいことがあって」 年の頃は三十代半ば。左の薬指にシルバーの指輪をはめているから既婚者だろう。担当している教科は確か日本史。 「……あぁ、真田か」 有名な戦国武将と苗字が同じだったから日本史に興味が湧いた。自己紹介で教師になったきっかけをそう説明していたと、葵から聞いた記憶が蘇った。自力で答えを導きすっきりした京介に対し、話に集中していないどころか、今自分の名前を思い出されたことに真田は少し複雑な顔をしてみせた。 「藤沢くんの体調は、どう?」 咳払いをして気を取り直した真田が切り出したのは、案の定葵のこと。彼が受け持ちではない京介を呼び出すなど、それ以外に思い当たらない。 「しばらく休むって連絡いかなかった?」 「西名くんの親御さんからね」 わざわざ情報の提供者を口にするあたり、彼は藤沢家との関係を気にしているらしい。 「藤沢くんは、今西名くんのお家にいるってことだよね?」 「他にどこにいるっつーんだよ」 呼び出したくせに、真田の歯切れは悪い。キレっ早い京介を相手に、何から切り出すべきか考えあぐねているようだったが、そのどっちつかずの態度が余計に苛立ちを煽る。 「……話ってそれだけ?」 一限の授業は始まったばかり。もともと真面目に受ける気はなかったし、真田もそれが分かっているから呼び出しているのだろうが、ここで無駄な時間を過ごすほど暇ではない。 京介が立ち上がる素振りを見せれば、ようやく真田が本題を切り出した。 「一昨日、藤沢くんのお父さんと少し会話をしたんだ」 「アンタも会ったのか。で、あいつはなんだって?」 馨の相手をしたのが教頭だと聞いていたが、彼も担任として顔を出していたらしい。馨が学費を持参したことしか聞いていなかった京介にとって、真田が何を話したのか、気にならないといえば嘘になる。 上げかけた腰を再びパイプ椅子へと戻せば、静かな室内に軋んだ音が響いた。

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