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act.7昏迷ノスタルジア<6>

「藤沢くんの将来のことを、すごくよく考えていらっしゃった。藤沢くんには勉強だけでなく、あらゆる可能性を広げてほしいと仰っていてね」 葵を人形としてしか見ていない男が、将来を考えているなんて馬鹿馬鹿しい。笑い飛ばしたくなるが、真田はいたって真面目な顔をしている。馨が葵にとっていい父親だと思い込んでいるようだ。 幼い頃の記憶は曖昧だが、京介も初めはそう思っていた。比較対象がヒステリーを起こしている母親だったからかもしれない。それに比べていつでもニコニコと笑い、葵を抱きしめる馨は随分と優しい父親に見えた。 でも葵は馨に怒られることこそ、怖がっていたし、馨の前では彼の求める人形を必死に演じていた。それに、母親に虐げられている葵を助けない時点で、十分狂っている。いい父親であるはずがない。 「藤沢くんが奨学金を受けるために、勉強ばかりの学生生活になっていないかを気にされている」 「葵が望んだことだ」 「でも、特待生のラインを越えるのが危ない時があるし、相当無理をしているように見える」 西名家が葵にいらぬ苦労をさせている。そんなストーリーを、馨は真田に授けたのだろう。藤沢家に比べれば、西名家など、一般家庭に過ぎない。兄弟三人分の学費は西名家にとって決して安くはない。 「お兄さんも、授業料免除の制度を色々と受けていただろう?」 「……兄貴が?」 京介が反応を見せれば、真田は冬耶が学園の代表として時折受けていた全国区の学力テストの話を出してきた。天才肌の兄は、そこで良い成績をおさめて学園の宣伝をする代わりに、学費を大幅にカットさせてきたらしい。大学へも、ほとんど招かれる形で進学したという。初めて聞いた話だった。 兄の行動は全て、葵の立場を学園の中でよくするためだけだと思っていたが、費用面でも家庭を支える意図があったに違いない。葵をないがしろにした学園への反発心から、授業すらまともに受けずにいる自分が急に情けなく思えてくる。 「藤沢くんが楽しく過ごせるように、ただその思いでいらっしゃったそうだから、その好意は受け取ってもいいんじゃないかと思う」 真田は“好意”と表現したが、つまりは金のこと指しているのだろう。どうやら馨は、葵を西名家から奪いたいなんて本音は押し隠し、ただ葵を気遣う姿だけを見せたようだ。本当に小賢しい男だ。 「アンタはなんて聞いたわけ?葵が俺ん家で暮らしてる理由」 そんな良い父親がなぜ葵と引き離されているのか。矛盾を指摘すれば、真田は答えに窮したように眉をひそめた。馨の甘言に惑わされ、こうして京介に声を掛けたはいいものの、深く考えもしなかったのだろう。 「赤の他人に口出される覚えはねぇ」 馨にあやかって、生徒思いのいい教師を演じたかったのだろうが、見当違いもいいところだ。感情のままに机を蹴り飛ばして立ち上がれば、真田からは苦しそうな呻き声が聞こえた。机が腹にでも食い込んだようだが、気にかけてやる義理はない。殴られなかっただけマシだと思ってほしい。

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