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act.7昏迷ノスタルジア<28>

「がんばったね、あーちゃん」 理不尽なことを言ってしまったというのに、冬耶はそんな葵を褒めてくる。宣言通り全てを受け止めてくれたのだ。体は疲れ切っているけれど、感情を散々吐き出したおかげで不思議と気分は悪くない。 「こら、擦っちゃダメ。腫れちゃうから、冷やしておこうか」 急激に襲ってくる眠気に抗うように瞼を擦れば、その手はすぐに冬耶に捕まった。彼が身に着ける指輪の冷たさで、自分の全身が火照っていることに気付く。 「足首も、な。なかなか腫れ引かないもんな」 「うん……ズキズキする」 今はもう強がることが出来なくなってしまったようだ。紫色の足首の状態を正直に伝えると、冬耶はすぐに氷を取りに行こうとする素振りをみせた。でも葵はそれを引き止めるように、再度彼の胸元にしがみつく。 「もうちょっとだけ、ぎゅって」 「もちろんだよ。おいで、あーちゃん」 誘われるがまま、広い肩に手を回して限界まで体を寄り添わせる。少し甘みのあるエキゾチックな香りを胸いっぱいに吸い込めば、また眠気の波がやってきた。 窓から時折吹き込む夜風が火照った体には心地良い。自然と瞬きも段々と重たくなっていく。霞んでいく視界の中では、冬耶の顔や耳を飾るピアスの煌めきが星空のように見えた。 「……ふえ、た?」 はっきりとした違和感ではないが、いつもよりも輝きが強い気がする。星の数が増えたのかと問えば、冬耶は笑顔だけを返してきた。知らぬ間に彼を彩る装飾品が増えていく。 本当は一ノ瀬のことだけでなく、もっと違う話もするつもりだったというのに、泣き疲れた体は休息を求めている。葵をこのまま寝かしつける気らしい冬耶が、とんとんと一定のリズムで背中を叩いてくるから堪らない。 「またゆっくり話そう、あーちゃん。焦らなくていいんだよ」 何も言わなくとも、兄は葵の気持ちを簡単に読み取ってしまう。 幼い頃からそうだった。元からうまく話すことが出来なかったけれど、一時期の葵は声を出すことすら叶わない状態に陥っていた。それでも冬耶は葵の気持ちをいつでも汲み取ってくれた。 “お兄ちゃんがあーちゃんの代わりに喋るよ” だから焦らなくていい。あの時も同じ言葉をかけてくれた。 いつでも深い愛情を注いでくれるこの大きな存在に、自分は間違いなく依存している。ただの隣人だった葵を弟として迎え入れ、無尽蔵に愛してくれる冬耶に。 一日でも早く学園に戻りたい。その気持ちは嘘ではないのに。こうして再び冬耶に甘やかされる時間に浸ってしまうと、ずっとこのままで居たくなる。そんな我儘も冬耶は許してくれるだろうか。 今夜の夢の中でも離れずに抱き締めていてほしい。 眠りに落ちる前になんとか紡いだ非現実的な願い。それすらも、彼は叶えてみせると誓ってくれた。だから葵も素直に意識を手放していく。今はあの夜の夢を見ても、怖くはない気がした。

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