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act.7昏迷ノスタルジア<30>

涼しい顔をして京介の神経を逆撫でてくる存在に何度腹を立てたか分からない。根底にあるのは彼への嫉妬。十年以上かけて葵と関係を築き上げてきた京介と、彼はあっさり肩を並べてきたのだ。妬かないほうがどうかしている。 「まぁいいや。また補習と追試だらけになっても知らねぇからな」 これ以上無理に会話を続けようとしたらまた喧嘩に発展しかねない。葵が憔悴しきっている今、さらに悲しませるようなことはしたくなかった。 都古を置いて廊下に出た京介は、自室に戻る前に冬耶の部屋へと近づいた。扉越しにうっすらと葵の声が聞こえる。何を言っているかまでは聞き取れないが、泣いていることだけは分かった。 あの夜、葵を助け出したのは冬耶。それだけでもやり場のない無力感を味わわされたというのに、今もこうして葵の涙を受け止める役目を奪われている。苦しくて堪らない。 自室のベッドに転がり、なんとか気を鎮めようとするが、怒りや劣等感、悔しさといった負の感情が次々に溢れて京介を襲い続けてくる。こんな時に求めてしまうのは、葵の笑顔と温もりで。その情けなさもまた嫌になる。 そんな京介の思考を止めたのは、携帯の振動だった。 “氷と濡れタオル持ってきて” ウインクの絵文字とともに送られたメッセージ。送り主は兄。泣き疲れた葵がそのまま寝てしまったのだと簡単に予想がついた。 今夜はもう望みがないと覚悟していたから、どんな形であれ葵に触れられることは素直に嬉しいと感じてしまう。だからすぐに指示された物を手に冬耶の部屋に向かった。 相変わらずゴチャゴチャとしたインテリアの部屋の中心に冬耶と、そして彼に抱きついたまま眠る葵の姿があった。 「悪いな。寝てた?」 「いや、別に」 葵はすでにそれなりの深さの眠りについているらしい。冬耶の声の顰め具合で察する。案の定、濡らしたタオルを目元に乗せてやっても葵は軽く身じろぎをしただけで起きる気配は全く見せなかった。 「ごめんな。お風呂上がったら連れてこうと思ったんだけどさ、これ以上無理させ続けるのもしんどくて。そしたらちょっと泣かせ過ぎちゃった」 そう言って冬耶は、慈しむような手つきで葵の髪を撫でた。気が短く言葉選びもうまくない京介とは違い、兄が葵を泣かせるほど問い詰めることはまず有り得ない。葵自らが本音を吐き出せるようにうまく誘導してやったのだろう。

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