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act.7昏迷ノスタルジア<31>

「で、なんだって?葵、なんつってた?」 「うーん、なんていうか、あいつを責めるようなことは何にも言わないのな。この子、自分が犠牲になる痛みには鈍いから」 幼い頃から葵はそうだった。両親それぞれが違う形で葵を虐げていたにも関わらず、彼らを憎むようなことを一度だって口にしない。それどころか京介が罵倒すると悲しそうな顔までする。 「まぁでも俺のことは責めてくれたから。それだけでも十分」 「兄貴を?」 「うん、ずっと助けてって呼んでくれてたらしい。もっと早く来てほしかったって言われちゃった」 葵が感情をぶつけられるということは、相手を信頼し、甘えている証拠である。冬耶もそれが分かっているから、どこか穏やかな表情を浮かべている。 ──そういや葵、“ほだか”にだけは我儘だったな。 こんな時になぜとは思うが、遠い昔の光景が不意に浮かんだ。 “いかないで、ほだか” 登校しようとする穂高の足元にしがみついて泣きじゃくるいつかの葵。困った顔をして必死に宥めつつも、穂高は今の冬耶のように不思議なくらい優しい笑顔を浮かべていた。彼もきっと、葵からの甘えが嬉しかったのかもしれない。 「他には?なんか話した?」 話の流れによっては“おまじない”が冬耶にバレたかもしれない。そんな不安を押し隠して、京介が問えば、冬耶からは拍子抜けする答えが返ってきた。 「いや、他に聞いたのは、あーちゃんがみや君と隠れてアイス食べたって話ぐらいかな。おいしかったってさ。七瀬ちゃんがオススメしてたやつなんだって?」 「さぁ、知らねぇけど」 この口ぶりでは、冬耶にはそのアイスを買ってきてやったのが京介だとバレているだろう。もしかしたら葵にも。 「またタイミング見つけて話すよ。あーちゃんもまだ何か言いたそうにしてたから。誤魔化すのも限界だよな」 「でも……それで葵があっち選んだらどうすんだよ」 兄の前で弱音を吐くのは癪だが、葵を奪われかねない判断には反対だった。 家族として振る舞いながらも、どこかで葵は西名家に対しての遠慮が抜けない。不登校期間を挟んだことや、虚弱な体質のせいで生じる勉強の遅れを必死で取り返し、奨学金を獲得したのも、西名家に対する金銭的な引け目が理由だ。小遣いや携帯を持つことすら拒否している。 ただ馨が恋しいというだけでなく、西名家の負担にならぬよう藤沢家の庇護下に戻ることを選択する可能性だって十分に考えられる。 「選ばせないよ、絶対にな」 葵を抱え直し、京介の目を見据えた冬耶の表情から珍しく笑みが消えた。真顔になると彼が普段纏う人の良さそうな雰囲気が消え去る。言い切るからにはそれこそ、どんな手でも使うつもりのようだ。

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