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act.7昏迷ノスタルジア<32>

弟の京介でさえ、冬耶の全てを知っているわけではない。並外れた頭脳を持つ彼はいつか馨が現れる、もしくは藤沢家が葵を跡取りとして欲しがる未来を少なからず想定していたに違いない。 彼が学生の身で有りながら、得体のしれぬネットワークを持っていることも、それを使って何かしら稼いでいるらしいことも分かっている。京介が聞いてもいつもはぐらかされるそれらの行動。葵を守るために着々と準備していたものだと考えたら、何故かすんなりと納得できてしまう。 「いざとなったら、ほら、あーちゃんマスターの遥呼び寄せて本気出させるし」 京介の戸惑いを察し、冬耶はすぐにふざけてみせるものの、そのギャップが恐ろしいのだと分かってほしい。 「さて、と。そろそろみや君のとこ行こっか。俺の分の布団ある?」 「は?え、何、移動すんの?つーか、兄貴も一緒に寝るつもり?」 「あのなぁ、いつも俺だけ除け者で寂しいんだからな。いいだろ、たまには」 冬耶の中ではもう決定事項らしい。今夜の兄はもう葵を手放さないとは思っていたが、全員で眠ることで解決させるとは予想していなかった。 「いや、狭いだろさすがに。都古も嫌がるって」 補習のことで都古を煽るような捨て台詞を残してきたから若干の気まずさもある。葵の部屋の物理的な広さを表向きの理由にして引き留めようとしてみるものの、冬耶は“大丈夫”と笑うばかり。 都古は京介が部屋を出てきたときと変わらず、ベッドで丸まっていた。 葵が居なくて余程心細かったのか、葵の代わりとばかりにぬいぐるみを抱えていたところが唯一の違い。彼のこういうところを葵が“かわいい”と表現するのは分からなくもない。 「みや君。今日は俺も一緒に寝ていい?……ま、ダメって言われても、あーちゃんと約束したから、一緒に寝るんだけど」 都古はわずかに不満の色を滲ませたものの、冬耶が決して折れないことは勘付いたようで、大人しく頷いていた。 寝床を変えてもなお、葵は冬耶にしがみついたまま眠り続けている。このまま朝まで目覚めない可能性も高そうだ。 葵が悪夢を見るたびに重ねてきた“おまじない”。騙し続けることに罪悪感がないといえば嘘になるが、葵との大切な時間だと思っている。葵も同じ気持ちだとも。 けれど、今の葵の寝顔を見て嫌なことを思いついてしまう。 もしかしたら、葵は冬耶と一緒ならば、はなから悪夢になど襲われないのではないか。だとしたら間接的に京介が悪夢の要因を作っていることになる。 またじわじわと嫌な感情が京介を蝕んでいく。 明日目覚めた葵はきっと、“みんな”で並んで寝たことを喜ぶ。その時に自分は笑い返してやれるだろうか。 兄のように圧倒的な優しさで包んでもやれず、都古のようにただ黙って寄り添うこともできない。苦しさを紛らわすようについた溜息は、ランプだけが灯る静かな空間にやけに響いたのだった。

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