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act.7昏迷ノスタルジア<34>

「時間ぴったり、えらいね未里チャン」 月明かりがダイレクトに差し込む窓辺のベッド。その上に赤髪の男は居た。機嫌良さそうに笑い、未里を手招きで呼び寄せてくる。だが、若葉は近づいた未里をベッドには誘わず、フローリングの床を指し示してきた。 「ヤらないの?若葉」 指示された通りに腰を下ろしながらも、そう言ってみせたのは未里なりのプライドだった。怯えていることが知れたら、それこそ若葉に付け入る隙を与えてしまう。 「イイね。俺と対等に会話しようって根性は嫌いじゃない」 未里の強がりを見透かしたように、若葉は更に笑みを深めた。だが、鋭い眼光は獲物を狙う獣そのもの。 「準備してきたとこ悪いけど、ヤるよりもいいお小遣い稼ぎ思いついんだよネ」 「……なに、それ」 さすがに声の震えを抑えるのは難しい。やはり若葉は一ノ瀬をけしかけたのが未里だと確信している。 でも、なぜ。一ノ瀬自身が葵からの手紙だと信じ切っているのだ。葵の筆跡を収集する際にも、細心の注意を払って未里の痕跡が残らないようにした。若葉が未里に辿り着く理由が思いつかなかった。 すると若葉は未里の戸惑いを嘲笑うように、自身の携帯を差し出してきた。何かのアプリが起動されているらしい画面には、連休中の日付と波形が表示されていた。若葉が中心にある“”を押すと、聞き覚えのある音声が流れ出す。 『今の何倍でも出すから、奈央さまに近づく人間、全員消して』 『それ、俺に何のメリットがあんの?』 『一番ムカつくのは藤沢葵。知っているでしょ、若葉も』 雑音は混ざっているものの会話の内容ははっきり聞こえる。いつかの夜、この場所で自分と若葉が交わしたものだ。まさか録音されているとは思わなかった。でも、あの時一ノ瀬の名前など出ていない。未里の本性が露わになった分の悪い証拠ではあるものの、決定的とは到底言えない。 「で、いくら出してくれんの?」 「そのデータが何。別にこれが流れたって、構わないから」 未里が堂々と虚勢を張れば、若葉はますます興味深そうに目を細めた。 「ナニ勘違いしてんの?この依頼受けてやるって言ってんだけど」 「……え?」 「フジサワアオイをどうして欲しいの」 思いもよらない提案だった。脅されると完全に思い込んでいた未里は予想だにしなかった展開に、つい間の抜けた声を出してしまう。 「どう、って。でも、若葉、藤沢のこと気に入ったんじゃないの」 「なんで?」 「だってあんな……」 言い掛けて口を噤んだ。あの夜、若葉が自らのパーカーを葵に被せ、抱きかかえていたことを指摘すれば、傍に居たと白状してしまうようなものだ。目の前のこの男の真意が分からない以上、迂闊な態度をとってはいけない。 でも若葉相手には未里の抵抗など無駄でしかないようだ。

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