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act.7昏迷ノスタルジア<42>

空模様の壁紙に、色鮮やかな小物たち。高校生の部屋にしては幼いインテリアは、葵の時間があの頃でまだ止まっていることを示しているように感じられてしまう。 「宮岡先生!」 「こんにちは、葵くん。……それから?」 ベッドに腰掛けていた葵。その足元に座り込んでいた少年には見覚えがない。宮岡の視線に気付いた葵がすぐに、彼が“みゃーちゃん”だと教えてくれた。 葵の周囲の人に関する情報はインプットしているつもりだったが、甘えん坊で猫みたいに可愛いと葵に評されていた“みゃーちゃん”が目の前の彼だとは思わなかった。 きりりと整った涼し気な顔に、朱色の紐で結われた黒髪。宮岡が挨拶をしてもぴくりとも反応しない姿が気まぐれな猫のようだというのならば納得ではあるものの、葵の話す印象とはやはり合致しない。 「体の様子、一応全部確認しておきたいんですけど、一緒で大丈夫かな?」 宮岡が近付いても、都古は葵から離れる様子を見せない。葵が体のどの部分に怪我をしているのかを知っているから、宮岡は念の為確認を入れる。 「あ、そ、ですね。えっと、みゃーちゃん、ちょっとだけ待っててくれる?」 「……わかった」 葵からやんわりと退室を促された都古は、わずかに迷う様子を見せたものの、すんなりと立ち上がった。相変わらず表情は変わらないが、扉を出る背中は寂しげに見えた。 「葵くん、プリンは好きですか?来る途中で美味しそうなお店を見つけてね、思わず買ってしまいました」 室内に二人きりになると葵から緊張の色が滲み始める。だから宮岡はすぐに本題には入らず、持ち込んだ手提げ袋を示してみせた。穂高には“いい歳して”とか“早死にする”とか厳しい声をかけられるが、甘いものに目が無いのだ。 「わぁ、おいしそう!先生もあとで一緒に食べられますか?」 「えぇ、もちろん。そのための時間はちゃんと作ってきました」 隣に並んで紙袋の中身を見せてやれば、葵は嬉しそうに見上げてくる。一緒に食べたいなんて甘えてくるような台詞は宮岡を喜ばせた。けれど、近くで観察すると、葵がまだ衰弱していることがよくわかる。 「少しやつれたね。ごはんは食べられてる?食欲は戻ってますか?」 「……いえ、あんまり。でも、元々そうだから」 食が細い質なのは葵の体格を見れば一目瞭然だ。その原因にも宮岡は心当たりがあったが、いい機会だ。もう少し掘り下げて聞いてみるのもいいかもしれない。 「元々って?」 「前はお腹が空くって感覚自体が分からなかったんです。今はちがいますけど、でも、皆みたいに沢山食べられないのは変わらなくて」 穂高から、葵の幼い頃の食生活の話は聞いていた。葵に関心のなかった母親はもちろんだが、いつまでも小さな人形で居てほしいと願う馨も、積極的に成長を促す行為には後ろ向きだったらしい。その環境が、空腹という感覚を鈍らせてしまったのだろう。 成長期に十分な栄養を与えられなかったせいで葵は同年代に比べて小柄で、食も細いままだとも簡単に予想がついた。

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