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act.7昏迷ノスタルジア<43>
「食事は大事だけれど、無理は良くないからね。まずは葵くんが食べたいと思うものから少しずつ口にしていきましょう」
「……アイスでも、いいですか?」
「プリンを持ってきた私が、アイスはダメなんて言うと思います?」
もっとエネルギーになるものを摂らせなければならないものの、葵が食事自体を苦痛だと感じてしまうことは一番に避けなければならない。だから葵の不安を取り除いてやれば、彼からは安堵したような微笑みが返ってきた。
とはいえ、怪我の経過を診るためにパジャマを脱がせ、華奢な上半身を目の当たりにすると何とも言えない苦い気持ちが湧き上がってくる。うっすらと骨の浮く白い肌。幼さを感じる体つきに不似合いな内出血の痕が所々に咲いていることも、より悲壮感を煽った。
「良かった、ここは綺麗になり始めていますね」
手首に浮かぶ拘束の名残は順調に塞がり始めている。以前葵自身がつけたという噛み跡も薄くなってきてはいた。もう厳重に保護する必要はないと感じたが、出来るだけ視界に入れたくないという葵の心を尊重し、宮岡は用が済むとすぐに包帯を巻き直してやる。
「それで……これは何だろう?」
次に宮岡が指摘したのは、内出血の痕に重なるようについた引っかき傷。あの夜葵を診たときには付いていなかったはずだ。指摘すると葵が気まずそうに顔を伏せてしまう。
「早く、消したくて」
「気持ちは分かるけど、こんなことをしても良くならないよ」
理由がなんであれ、手首同様自傷の気があるのは見逃せなかった。それ自体は時が経てば自然と薄れていくが、上から重ねた裂傷はそうもいかない。
「“好きの印”が気持ち悪いの」
どうやら葵は今回暴力を振るったという教師からだけでなく、身近な存在からもいわゆるキスマークを付けられた経験はあるらしい。好意の証だとも認識している。
恋愛感情そのものをまだ理解していなさそうな幼い葵に誰が手を出しているのか。一途に葵を慕い続けているにも関わらず、直接会うことすら叶わない穂高のことが浮かんで、宮岡はついやりきれない気持ちになってしまう。
「誰が付けたか、で葵くんの受け取り方が違うのは当然ですよ。葵くんが好きだと思っている相手と、そうでない相手。同じことをされても気持ちは全然違うでしょう?」
「……それで、いいんですか?」
「ええ。葵くんが相手を好きでなかったら、これは“好きの印”じゃなくてただの内出血です」
戸惑いを見せる葵を安心させるように慎重に言葉を紡いでやる。葵はしばらく難しい顔をして思案していたが、その表情は段々と解れていった。
「じゃあ皆からの“好きの印”は嬉しい、でいいのかな」
自分に言い聞かせるような葵は悩みが一つ解決した素振りを見せるが、宮岡は“皆”という単語が気になってしまった。どうやら葵の体を可愛がっているのは一人ではないようだ。
あの夜の冬耶は、何も知らない葵を傷つけたことに対して憤怒していたから、宮岡も当然葵に何の経験もないと思い込んでいた。だが、どうやら何も知らないのは冬耶のほうだったのだろう。
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