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act.7昏迷ノスタルジア<44>

「皆からは印を付けられるだけ?」 「……あとは触ったり、舐めたり、とか」 葵がどこまでの経験をしているのか確かめてみると、頬を染めながらも素直な答えが返ってくる。この調子ならば、愛撫止まりではあるのだろう。ただ、葵の容姿や無垢さは時に相手を大いに煽ってしまうはずだ。一線を超えるのも時間の問題かもしれない。 穂高や冬耶のことを思うと、ここで葵に正しい知識を教え込み、恋愛関係になる前の行為を拒めるよう仕向けたい気持ちが湧いてくる。 でもそれは今の宮岡の領域外の行動だ。葵が受け入れようとしている以上、下手な口出しは余計に混乱させることになる。歯がゆさをこらえ、宮岡は診察を再開させた。 捻挫が思った以上にひどかった以外、足首、そして性器に施された拘束の傷跡の治りは手首同様順調だ。葵にそう伝えてやれば、ホッとしたような笑顔が浮かんだ。 「じゃあ、もう学校行っても大丈夫ですか?来週試験が始まるから、早く戻りたいんです」 「うーん、そうですね。私の立場からは、せめてもう少し食欲が回復して、自力で歩けるようになってからでないと登校はおすすめしないかな」 期待する葵には申し訳ないが、宮岡は率直に懸念を示した。なだめるように髪を撫でてやっても、葵はしょんぼりと俯いたまま。 「試験が心配?」 ただ勉強だけが葵の不安要素であれば、取り除いてやる手段はいくらでもある。だが、葵からは他にも理由があるのだと打ち明けられた。 月末に控えた行事に向けての準備が立て込んでいる生徒会。その日の授業内容をまとめたノートのコピーを用意してくれる友人。葵が欠席することで、彼らに迷惑がかかることが不安なようだった。それが要因で失望されたり、嫌われたりすることが何より怖いのだという。 そして、これ以上家にこもり続けていると、外に出る勇気が出なくなってしまいそうでもあるようだ。 「ちっちゃい頃、そうだったんです。お家から一歩も出られなくて、ただお兄ちゃんと京ちゃんの帰りを待つだけ。それじゃダメなのに……」 「ずっとお家に居たい気持ちになっちゃったんだね」 あれほどの目に遭ったのだ。安全な場所で過ごしたいと願うのは無理もないだろう。 「あ、でも、学校に行きたいのも本当です」 「うん、分かってますよ。大丈夫」 宮岡に対してまで必死で言い訳をしてくるところがいじらしい。冬耶たちからは登校に関しての判断を先延ばしにされているようだから、きっと宮岡が了承したという後押しが欲しかったのだろう。 「葵くんが大事だから。無理をしてほしくないんですよ」 もう一度、指通りのいい髪に手を伸ばして言い聞かせれば、葵はゆっくりと頷いてくれた。 葵はこのあと、いつものようにカウンセリングを受けることを望んだけれど、宮岡はそれもやんわりと断った。時間がないわけではない。封じ込めた過去の記憶を掘り起こせば、ただでさえ弱っている葵の心も体も大きく疲弊するからだ。 登校と同じく、もう少し体調が良くなったらと約束してやると、もうそれ以上葵が無理を言うことはなかった。

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