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act.7昏迷ノスタルジア<50>

「また、付けて。……いつか、ね」 今すぐ、とねだらないのは葵への気遣いに他ならない。いくら叱ってもめげずに甘え続ける彼が変わってしまったのは、葵が触れ合いを一度拒んでしまったことが原因だ。 でも宮岡との会話で、あの時の戸惑いは随分和らいだ。都古たちが葵に求めるスキンシップと、一ノ瀬のあれは同じではない。葵が相手を好きかどうか。それによって全く別物だと教えてもらって、気持ちは楽になった。 「今したら、みゃーちゃんは嬉しい?」 「嬉しい。でも、無理はやだ」 葵の提案は少なからず都古を驚かせたようだ。切れ長の目が一瞬丸くなり、そしてまた薄められる。 「これで、十分」 共にベッドで寄り添うだけでも幸せだと都古は言い切ってみせる。葵を困らせるほど甘えん坊で我儘で、そして欲張りな猫。寂しい思いをさせているのは間違いない。 だから葵は今自分にできる最大限の愛情表現を彼に贈りたくなった。シーツの上の体を滑らせ、二人の間の距離をゼロにする。彼の鼓動が聞こえるぐらいに胸元に頬を寄せるのも忘れない。 「みゃーちゃん、いつもありがとう。大好きだよ」 常に寄り添ってくれる都古の存在は、葵にとって何物にも代えがたい。今まで周囲に守られてばかりだったけれど、都古のためにもっと強くならなくては、そう思える。 きっと都古は葵が休む間は付き合ってくれるつもりに違いない。だから早く回復し、彼を連れて学園に戻らなくては。自分一人の問題ではなく、都古の生活までも預かっている状態なのだ。 「ちゃんと伝わるといいな」 まだ微熱がある状態なのか。それとも都古の体温が低いだけなのか。都古の肌に頬を直接当てると、ひんやりとして気持ちがいい。自分の体温と共に、精一杯の好意が彼に伝わってほしい。 強く吸うのは恥ずかしいけれど、肌に沿うように唇を触れさせるぐらいは出来る。都古がいつもしてくれることを葵が真似をすればきっと、気持ちは通じるはずだ。 「アオ……どうしよ」 「ん?どうしたの?」 しばらくそうして都古に体温を分け与えていると、突然肩を捕まれ優しく押し返される。見上げれば、都古は短い眉をひそめ、困った表情を浮かべていた。 相当に苦悶しているらしい。あれだけ傍を離れたがらない都古がベッドから降りようとまでしてしまう。葵はそれを慌てて引き止めた。 「え、待って、みゃーちゃん」 「だめ。今たぶん、無理」 “好き”が伝わればきっと都古は喜んでくれると思っていた。でも葵の期待に反し、都古を苦しませてしまったらしい。 「どうして?いやだった?」 強く拒まれたわけではない。それでも、こうして体を離されるとどれほど悲しい気持ちになるか身を持って思い知る。あの時の都古も、同じ気持ちだったに違いない。 そして、悪夢にうなされていた葵に手を差し伸べてくれた京介も。 一ノ瀬からの行為で混乱していたとはいえ、二人を深く傷付けたのだと、はっきり自覚できた。 「ちがう。もっと、欲しくなる」 「……もっと?」 「そ。アオが、欲しい」 自分を真っ直ぐに見据える黒い瞳。珍しくそこに熱を感じる。離れようとしたばかりだというのに、葵の手に自分の手をそっと絡める仕草もそうだ。 「あげるよ、全部」 都古が寮に逃げ込んできた日。真っ青な顔で震える彼を見た時、その全てを受け入れる覚悟をした。どう差し出せばいいのかは分からないが、都古が欲しいと言うのならば何でも与えてやりたい。

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