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act.7昏迷ノスタルジア<51>

「……だめ、だって。我慢、できなくなる」 “我慢” その単語で思い起こすのは京介のこと。彼もずっと我慢をしていると言っていた。そしてそれを都古の謹慎中に成し遂げようとしていたことも思い出す。 都古も同じことを我慢しているのだろうか。 得体の知れない行為が怖くないといえば嘘になる。でも葵が受け入れることで彼らが苦しまずに済むのならば構わない。ただ気掛かりなのは、どちらを優先したらいいのか、ということ。 「それって、三人では出来ない?」 「待って。誰、増えた?」 「京ちゃん」 幼馴染の名を口にすると、都古はしばし呆然と黙り込み、そしてベッドへと力無く突っ伏してしまった。 連休中にも二人から交互にキスを与えられたことを考えれば、それほどおかしな提案だったとは思わなかったのだが、この反応を見ればまた間違えてしまったようだ。 「ごめん、変なこと言った?」 「……アオが、心配」 こちらを向いた視線は、どこか恨めしそうだ。都古の髪を撫でようと伸ばした手を捕らえ、再び繋いでくれるのだから、怒ってはいないようだけれど。 そのまま引き寄せられ、都古の腕の中に再び収まると、湧き上がりそうだった不安はすぐに弾け飛ぶ。 「かわいいから、心配」 共感してくれる人は少ないが、“かわいい”が似合うのは都古のほうだと葵は思う。けれど、今はこの言葉すら葵を包みこむ温かさを感じて、否定せずに受け入れたくなる。 「アオ」 甘いトーンで名を呼ばれ、前髪越しの額にキスを落とされる。そんなスキンシップさえ、随分と久しぶりに感じてしまう。けれど、キスは一度で終わった。いつもならば、額からこめかみ、目元を通り段々と降りてくるはずなのだ。 「みゃーちゃん?」 不思議に思って見上げると、都古はまた熱を秘めた瞳を向けてきていた。でも彼はそれ以上動きもしないし、言葉も発しない。葵が自分自身で答えを見つけるのを待っているようだった。 よくよく考えると、今だけではない。都古は強引なところがあるように見えて、キスもそれ以上の行為も必ず葵の意思を確認し、許可を求めようとする。“命令”も積極的に欲しがってくる。 彼が望むのは主人と飼い猫の関係。だからその延長なのだろうと思っていたけれど、もしかしたらそこには違う意味があるのかもしれない。 今ここで葵が勇気を出さなければ、彼をまた傷つけるような気がした。 「みゃーちゃん、あの……」 キスが欲しい、なんてやはりすんなりとは口に出来ない。だから一旦は発しかけた言葉を飲み込み、葵はゆっくりと己の唇を都古のそれに近付けた。心臓が痛いぐらいに鼓動し始める。 じっとこちらを見つめる都古の視線から逃れたくて、目をきつく瞑ってさらに距離を縮めると、やがて何かに触れる感触がした。でも予想と違う柔らかさ。瞼を開けると、自分がキスを贈った箇所が彼の唇からは少しずれた位置だと気が付いた。 「はずれ」 そう言って、普段は鋭ささえ感じる目を薄めて、都古が笑いかけてくる。失敗したという気恥ずかしさが込み上げてくるが、それよりも、彼のこんな表情を見られるのは自分だけだという事実が葵の胸をさらに苦しくさせる。

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