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act.7昏迷ノスタルジア<57>
「ガキ相手にしてやられて情けないけどな、あんたのせいで大スクープのチャンスを逃したんだ」
ようやくこの男が他の誰でもなく、冬耶に接触をはかった理由が分かった。葵に近い存在というだけでなく、個人的な恨み故の行動だったようだ。
「エレナの死の真相は明かされないまんま、もみ消されちまった」
「あなたのいう真相って?」
「……発見時、既に亡くなっていたって発表されたけどな。本当にそうだったか?」
男の言葉で、冬耶はもう一度あの日の記憶を辿ろうとする。だが、あれ以上のことは引き出せそうもなかった。
「デビューした時から見てたんだ。あいつは自殺なんて手段を選ぶような女じゃない。絶対にな」
ここまで言い切るということは、男はカメラ越しに何かを見たのだろう。でもそれが何なのか。さすがに冬耶でも全く予想がつかなかった。
「あーあ、あの時のフィルムさえ生きてりゃな。……ま、今度は邪魔するなよ」
男はそう言い残し、立ち去っていった。最後に冬耶の胸に写真を押し付けてくるあたり、全く懲りてはいないのだろう。
彼の言う通り、わざわざ冬耶の許可を求めずとも記事を出すことは出来る。葵のことだけでなく、都古や櫻に関することもそうだ。本当に嫌がらせ目的で近づいてきたのだろう。
効果は十分だ。小さくなる彼の背中を追いかけ、引き止めるだけの余力はもう残っていなかった。
強い兄で居なくてはならない。皆を守らなければならない。そのためなら自分が全ての災いの矢面に立つ覚悟は出来ていたし、それを成し遂げられるほど心も体もタフな自信もある。
けれど、さすがに想像もしなかったことが起こりすぎている。椿もあの記者も、長い間冬耶への恨みを募らせていた、という事実にも衝撃を与えられた。
「……疲れたな」
運転席のシートを限界まで倒して横になると、思わずそんな言葉が口から溢れ出た。孤独な空間でしか吐き出せない弱音だ。
この疲れは決して悟らせたくはない。だから帰宅する前に少しだけ休もう。
そう考えて目を瞑ってしばらく微睡んでいた冬耶の耳に、メッセージの着信を伝える軽やかな通知音が聞こえてきた。送り主は母だった。
文字はなく写真だけだったが、思わず口元が緩んでしまう。
ダイニングテーブルに三つ並んだプリンの容器。
“おにいちゃん”
“きょうちゃん”
プリンを食べる権利を与えられたことを示す付箋がそれぞれに貼られている。スペースに対して控えめなサイズの文字を誰が書いたのか、すぐに分かった。
三つ目には名前ではなく“じゃんけん”と書かれているところも、冬耶の笑いを誘った。家族の人数に対して一つ多かった余り物を葵が食べたがるのならば、皆譲ってあげるというのに。きっと紗耶香もそれが微笑ましくて、この写真を送ってきたのだろう。
可愛くて可愛くて堪らないあの子がこうしていつまでも無邪気でいられるように。その願いを叶えるためなら、やはり自分は何だって出来る。
冬耶は一度大きく伸びをすると、葵の待つ家に帰るため、シートからゆっくりと体を起こした。
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