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act.7昏迷ノスタルジア<58>

* * * * * * 久々に通しで授業を受け続けると、運動した後とはまた別物の疲労が襲ってくる。珍しいものを見るような周囲の視線も京介を余計に疲れさせた。だから終礼が終わるなり荷物をまとめて、教室からの逃亡をはかる。 とはいえ、向かう先は廊下を出てすぐ隣、綾瀬の教室だ。席には綾瀬だけでなく、七瀬の姿もあった。京介のクラスよりも解散が早かったのか、二人以外の生徒はほとんど残っていなかった。 葵が戻ってくるまで、授業の板書を記録する役目は同じクラスの七瀬が請け負ってくれている。だが、普段は都古と並んで追試、補習の常連である彼では授業内容自体を正確に理解することは不可能だ。 黒板に書かれたことをそのまま写すことしかできない七瀬のノートは、京介の目から見ても所々分かりにくい出来栄え。それを綾瀬が放課後まとめてチェックし、手直しをしてくれているのだ。 「悪いな、綾瀬」 「ちょっとー、七には?」 「お前が授業受けんのは当たり前のことだろ」 七瀬の苦情を受け流すと、彼はむくれたように頬を膨らませてみせた。でも七瀬は怒っているわけではないし、京介も七瀬に感謝していないわけではない。こうした軽口の応酬が日常なのだ。 「この辺は絶対に試験に出るから、もし分からなかったら電話してって伝えて。いつでも解説するよ」 そう言って綾瀬が差し出してきたのは数学のノートだった。どうやら今日の授業で初めて習う部分について心配してくれているようだ。 中等部時代から葵の勉強を支えている綾瀬だから、葵が数学の理解に時間を要しがちな特徴をよく把握している。クールなようで、彼は葵には随分優しい。 綾瀬の様子を見ると、葵のためのノート作りにはまだ少し時間が掛かりそうだ。京介は綾瀬の隣の席に腰掛け、彼らとの会話で時間を潰すことにした。 「そういや、明後日うち来たいって会長に言われてたんだよな。お前らも来る?」 「明後日?何すんの?」 「試験勉強だと。葵の様子見て決めるから、まだ確定じゃねぇけど」 双子の誕生日会もあれだけ喜んだのだ。たとえ目的が勉強であれ、皆が西名家に集まれば、葵のはしゃぐ姿が目に浮かぶ。 懸念しているのは、少なくとも週末まで学校を休ませようとしていることを葵がどう思うか、だ。体調面にも不安が残るため、葵本人にはまだ忍の提案を伝えられずにいた。 「勉強ねぇ……葵ちゃんには会いたいけど、勉強はやだなぁ」 「お前も都古と一緒にやったら?あいつ微妙にやる気だしたっぽいし」 昨日帰宅した時、葵の学習机の足元には都古のノートが転がっていた。勉強時間は葵には到底及ばないだろうが、休んでいる間、彼なりに取り組もうとしている痕跡は窺える。 連休中に葵と離れ離れになったのがよほど堪えたのか。それとも謹慎中に起きた一ノ瀬の件をきっかけに、葵の傍から離れたくないとより強く願うようになったのか。どちらにしても、都古の変化を邪魔する気はない。

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