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act.7昏迷ノスタルジア<64>

「なんかあった?」 「さっき西名先輩に会って、葵先輩のこと聞いたから」 だから祝う気にはなれない。咄嗟にそう言って誤魔化した。 嘘ではないが、全て真実なわけでもない。でも爽にはオーディションでの情けない出来事を打ち明けたくはなかった。 「一ノ瀬に何かされたっぽい」 「……マジで?九夜さんじゃなく?」 聖が鞄を投げ出しソファに座れば、ラグに直接腰を下ろしていた爽も隣に並んできた。彼も葵のことがずっと気になっていたのだろう。すぐにこの話題に食いついてくる。 都古がずっと若葉の名前を口にしながら暴れていたから、爽はその可能性を信じていたようだった。 「うん。一ノ瀬は次の日から来てないっぽい。多分生徒会とか冬耶さんが捕まえてんじゃないのかな」 「そっか。九夜さんは今日普通に学校で見かけたわ。葵先輩襲ったんなら、あの人らが野放しにしとかないよな」 爽は納得した素振りを見せるが、その表情は曇る一方だ。誰であれ、葵が襲われたということが事実として確定してしまったのだ。やり切れないのは聖も同じ。 加害者が教師だから、京介や七瀬、生徒会の先輩達は皆、相当慎重になっているのだろう。だから聖たちにも話すことが出来なかった。頭ではその理屈を理解できるものの、信頼に足らないと言われているようで、悲しみが込み上げる。 とはいえ、知ったところで一般生徒である聖たちに何が出来るわけでもない。 「俺さ、今日竹内と昼飯食った」 「なに、急に」 「オリエン前に仲良くなろうって声かけてきて。普通に喋って、今度軽音部の奴ら紹介される流れになって」 聖の戸惑いをよそに、爽は淡々と喋り続ける。どうやら聞いてやるしかないらしい。正直なところ、可愛い弟が小太郎との仲を育んだ話なんて、聖にとってあまり面白いものではない。 「めちゃくちゃ喜んでくれそうだから、葵先輩が戻ってきたらそれ話そうって思った。来週の試験もいい成績とって、学園の奴らに認められたい。で、生徒会にも手伝いじゃなく、正式に入りたいって思ったけどさ」 「……けど?」 「葵先輩に出来ること、こんなことしか思いつかないのがすげーやだ」 今にも泣き出しそうな顔で凭れかかってきた爽を、聖は正面から受け止めた。爽の話には脈絡が無いように思えたが、聖と同じように、果てしない無力さを感じたのだろう。 「俺も。ドラマの出演決まったって言ったら、先輩喜んでくれるだろうなって考えてた。普段はあんまりテレビ観なそうだけどさ、毎回ちゃんと録画までしてくれそうじゃん」 「あー分かる。なんか俺が録画頼まれるとこまで想像できた」 機械音痴そうな葵の言動を思い描いて、思わず二人で顔を見合わせてしまった。さっきまで涙を浮かべていたというのに、爽の口元は緩んでいる。きっと自分も同じ顔をしているはずだ。 葵とのやりとりを思い描いただけで、簡単に心が解れてしまう。それは葵が常に平和で、温かな空気を纏っているからだろう。 でも、当の葵はきっと今ひどく傷付いているに違いない。 「戻ってこないとか……ないよな?」 また聖の肩に頭を預けてきた爽が不安そうな声を出す。 勉強の遅れを気にしているぐらいだから、葵は学園に帰ってこようとしているはず。でも一ノ瀬が葵に何をしたのか、葵がどんな状態に陥っているのかがわからない以上、迂闊なことを言って爽を慰めることは出来なかった。 「俺らが今出来ることしてさ、葵先輩のこと待ってよう」 爽の背中に手を回しながらただそう伝えれば、彼からは静かな頷きだけが返ってきた。

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