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act.7昏迷ノスタルジア<66>

「冬耶さんはなんて?」 「僕のことも守るってさ。頼んでもないのに、ほんとお節介だよね、あの人」 櫻は冬耶の宣言を思い出して溜息をついたが、奈央は相当に先輩を信頼しているのか、その一言で安心したようだ。ようやく彼から緊張が薄れる。 「葵に知られるのは嫌がっていただろう。演奏会への招待もそれで断っていたんでは?」 今まで黙っていたというのに、忍が急に会話に参入してきた。 確かに、月島家の演奏会に葵が興味を持ったことがあった。忍が招待されていると知って、自分も行ってみたいと名乗りをあげてきたのだ。櫻がピアノを弾き始めると、いつも嬉しそうに傍で聴き入っている葵のことだから、本当に観たいと思ってくれたのだと思う。 「そりゃあね。忍は何度も来てるから分かるでしょ?あそこで僕がどんな扱い受けてるか。だから葵ちゃんに来てほしくないとは思ったよ」 櫻の家庭環境を葵の耳に入れることと、櫻への悪意が渦巻く環境に放り込むのとでは話が違う。 あの葵のことだ。櫻が“淫売の子”といつものように蔑まれていたとて、その意味を理解できるとも思えなかったが。 「低俗な週刊誌が真実だけを書くとは思えない。面白おかしく脚色されるに決まっている。演奏会に連れて行くよりも、更に酷い話を葵の耳に入れることになるかもしれないぞ」 どうやら心配性は奈央だけではなかったようだ。眼鏡の奥の表情は変わらないが、声音には櫻を気遣う色が滲んでいた。 「“思った”って言ったでしょ。今は違う。来月の演奏会に招待したっていいよ」 葵と初めて演奏会についての会話をした頃は、葵とまだ親しくなってそれほど時間が経っていなかった。だから噂を耳にした葵が櫻をどう思うか、不安だったことは事実。でも今は違う。 葵とは少しずつ、失敗を沢山重ねながらではあるが、関係を深めてきた。葵の性格も理解しているつもりだ。櫻があれだけ意地悪を繰り返したって、懲りずに懐いてくる葵のことだ。例え櫻のことを他人からなんと聞こうと、蔑むはずがないだろう。 「櫻が悪く言われたら、葵くんはきっと悲しむよ。冬耶さんはそれも防ぎたいんだよ」 「なんで葵ちゃんが悲しむわけ?」 「櫻だって、葵くんが誰かに批判されたら悲しくならない?」 「すっごいムカつく」 素直な感想を口にすると、奈央はあからさまに頭を抱えてみせるし、忍も眉間に皺を寄せてくる。不愉快な友人たちだ。 「もうその話はいいよ。ていうか、西名さんが明後日、話したいってさ」 冬耶に続いて二人からもこれ以上のお節介をされるのは御免だ。先程冬耶から受けたもう一つの話を聞かせてやると、すぐに彼らの顔色が変わった。

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