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act.7昏迷ノスタルジア<72>

「おいで、葵」 誘われるがまま彼の肩に手を回すと、体がふわりと宙に浮く。下ろされたのはすぐ傍、学習机の上だ。先ほどまでよりはずっと彼との目線が合いやすくなる。 「してから言うのも、なんだけどさ。これも、怖くはない?」 「……うん。こわく、ない」 頬から滑り下りてきた指が、濡れた唇までなぞってくる。先ほどまで吸われていたせいか、そうして軽く触れられただけでジンとした痺れが走った。 「都古、おせぇな」 京介は机の端ぎりぎりまで葵を抱き寄せながら今度は頬やこめかみ、そして耳の辺りにキスを落としてくる。とっくに帰ってきてもいいはずの都古のことが気に掛かっているらしい。確かに、あれほど長くキスを交わしていたのだから、少し不思議ではある。 「帰ってこねぇと、逆に困るな」 「どうして?やっぱり寂しい?」 「ばーか、なんでそうなんだよ」 そのまま首筋を通った彼の唇は、シャツ越しに鎖骨を食んでくる。くすぐったさに身を捩っても、しっかりと抱き止められているから叶わない。 「このまま、全部触りたくなる。あのクソ野郎に触られたまんまなのが、キツい」 京介の苦しげな声音も、表情も、葵の胸を締め付ける。シャツの下の体に残った一ノ瀬の痕跡。葵だって視界に入れるのも嫌なもの。 「あぁ、わりぃ。お前こと責めてるわけじゃねぇから、んな顔すんな。こっちの問題だから」 葵の気が沈んだことを察して京介はすぐに慰めてくれるけれど、彼を悩ませている原因が自分にあるという事実は変わらない。 「あのね、宮岡先生が教えてくれたんだ。温めたり、マッサージしてみると消えやすくなるかもって。だから、今日お風呂でやってみる」 以前から、誰かに“好きの印”を付けられる度、京介を怒らせていた。京介以外、ダメなのだという。だから治るまでは、今の肌の状態を彼に極力見せないように心がけていた。 自分のためにも、京介のためにも、宮岡が“気休め程度”とは前置きしながらも教えてくれた方法を試してみようと思うのだ。 「別に見える痕だけじゃねぇよ、俺が嫌なのは」 そう言って京介は再び葵を抱き寄せた。 「ずっと大事にしてきたもん傷付けられたんだ。守れなかった自分にもムカつく」 “大事にしてきた”、その言葉だけで胸が熱くなる。 言葉通り、彼には本当に大事に守ってもらってきた。葵が誰かにからかわれたり、時に手を上げられそうになったりすると、京介はいつだって体を張って助けてくれた。その姿は、彼が昔憧れていたヒーローそのものだと葵は思う。 でも京介がそうして葵を助けてくれる度に、周囲からはただ喧嘩が好きな不良と見做される。それが悲しくて、悔しくて堪らなかった。 強くなりたい。そう願っているの理由の一つには、彼を葵だけのヒーローから解放したいという想いがある。

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