962 / 1636
act.7昏迷ノスタルジア<73>
「京ちゃん、先生に怒らないでね。大丈夫だから」
「どこが大丈夫だよ、ふざけんな馬鹿」
言葉は乱暴だけれど、彼の優しさは葵が誰よりも理解していた。今だって、この話は終わり、とばかりに強引にキスを落として黙らせてくる。
「……なぁ葵、俺にやらせて?」
数度柔らかく唇を啄んできた京介が、再び目線を合わせてきた。
「何を?」
「だから、これ消す手伝い」
京介がシャツ越しに指を這わせてきて、ようやく意味を察した。さっき葵が言った、一ノ瀬の痕跡を薄くする作業に手を貸してくれるというのだろう。
「でも、お風呂は一人で入るよ?それにお兄ちゃんが……」
「だから、寝る前に」
やんわりと断る理由を並べようとするが、それを簡単に遮られる。こちらを見据える京介の瞳には、抗えない色が灯っていた。
「みゃーちゃん、いるし」
「俺と二人がいいってこと?それとも都古も一緒ならいい?どっち?」
葵は自分一人でするつもりだと話したはず。それなのに、いつのまにか二人か、三人かの選択肢しか与えられない。
「選んで、葵。どうしたい?」
キスで乱れた髪を整えるように耳に掛けられ、もう一度尋ねられる。甘やかすような仕草なのに、逃れられない圧力を感じてしまう。
一ノ瀬の痕跡と向き合う。一人きりで行うには確かに心細いものではある。京介が居てくれたら心強いとも思う。
でも、いくら痣を薄める行為だとしても、自分だけが素肌を晒すシチュエーションは気恥ずかしい。もし選ばなければならないのならば、相手が二人よりは、一人だけのほうが照れくささは少ないとも感じる。
けれど、都古を除け者にするようなことを言えるはずもない。葵の傍から離れようとしない彼を遠ざけてしまえば、きっと悲しい顔をさせてしまう。
「お風呂じゃなくて……ここでする」
三人がいいとは、はっきり言えなかった。だから葵はそんな伝え方をする。それで十分京介は理解したようだ。
「分かった、待ってるから」
彼は二人きりが良かったのかもしれない。わずかに寂しげを滲ませる笑みが返ってきて、葵はそう感じた。結局、どちらを選んでも、どちらかを傷つけてしまう。それが切なく胸を締め付ける。
都古の足音が聞こえたらやめる。
京介はそう言いながら、再びキスを仕掛けてきた。
勉強しているはず葵が学習机の上に座っていて、その正面に京介がいて。そんな姿を見たら、いくらその瞬間唇が重なっていなくても、きっと都古は何があったか気が付くだろう。
でも抱き締めてくる京介の腕を、また振り払うことも出来なくて。
葵は京介のシャツを掴み、甘く落とされるキスを受け入れたのだった。
ともだちにシェアしよう!

