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act.7昏迷ノスタルジア<74>

* * * * * * 元から体温が低めなせいか、熱い湯に少し浸かっただけでも全身が火照って仕方がない。寝巻き代わりの浴衣を羽織るのも本当は煩わしい。濡れた髪にタオルを被せるだけにして脱衣所を出ると、ようやく涼しい空気を吸い込むことが出来た。 そのまま廊下を抜けて階段に向かうと、そこには冬耶の姿があった。わざわざ階下にしゃがみこんでいたということは、都古を待っていたのだろう。 「そんな嫌そうな顔しないでよ」 「早く、戻りたい」 葵と約束したのだ。すぐに戻る、と。そう主張すると、冬耶は苦笑いの表情のまま、手招いてくる。他の誰かならばそもそも無視をして通り過ぎるところだが、冬耶相手にそこまで強い抵抗が出来ない。 「みや君に伝えておきたいことがあってさ。このタイミングじゃないと二人で話せないから」 連れて行かれた先は、陽平の書斎だった。防音になっているこの部屋を選んだということは、葵の耳には絶対に入れたくない話なのだろう。促されるままソファに座ると、冬耶は斜向かいに置かれた一人掛け用の椅子に腰を下ろした。 「前にあーちゃんのこと探ろうとしてる記者がいるって話しただろ?今日そいつが俺の大学にまで来たんだ。で、これを見せてきた。ただの脅しだと思うけど、一応みや君にも伝えておこうと思って」 葵の元に戻りたがっている都古の心情を察してか、彼はすぐに本題に入った。机に並べられたのは三枚の写真。それぞれに葵と櫻、そして都古が写っている。 「心配しないで。みや君のことを晒すような真似は絶対にさせないから。もし直接接触されても、無視して構わない。それを伝えたかった」 都古が写真を見比べている間、更に冬耶は言葉を重ねた。そこでようやく、葵だけでなく自分も週刊誌のネタとして扱われたのだと気が付く。 都古自身はもうすっかり実家と縁を切ったつもりでいるし、芸の世界からも身を引いた。しかし世間から見れば烏山家の一員のままなのだろう。 家を出入りする関係者はとても多い。そこから漏れたらしき話は、学園内でも噂になって広がっているのだ。人の秘密を探ることを生業にしている記者の耳に入っていてもおかしくない。 とっくの昔に心を殺した都古にとっては、自分の経験が他人から気味悪がられることなど痛手ではない。謹慎のきっかけとなったあの男たちのように、都古を性的に蔑もうとする輩が現れるのにも慣れている。 それでも、葵だけは別だ。自分がどれほど汚らわしい存在かを、葵に知られるのは怖いと思ってしまう。 「みや君、ごめん。嫌なこと思い出させちゃったな」 きっと明らかに顔色が変わったのだろう。冬耶はすぐに気遣わしげに声を掛けてくる。 「平気。全部、忘れてる」 「……そっか」 思い出すことなど何もない。そう言い切れば、冬耶はまた苦さの滲む笑みを向けてきた。

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