966 / 1636
act.7昏迷ノスタルジア<77>
「風呂、入ってくる」
京介はわざとらしく唇を指先で拭い、まだぼんやりする葵の頭をひと撫でしてこちらに向かってくる。
「あとで話すから」
都古の脇をすり抜ける際、彼は小さくそんな言葉を掛けてきた。ちらりと一瞥したその視線にも不思議と敵意は感じられない。こんな見せつけるような真似をしておきながら、何を考えているのだろうか。
「……アオ」
都古に気が付き、気まずそうに顔を伏せてしまった葵に歩み寄る。
葵が京介を怖がったり、嫌がったりした素振りを見せていればきっとすぐにでも彼に掴みかかっていただろうが、葵の表情は真逆だった。昼間、都古に見せてくれたの同じ、安心して身を委ねている表情。
足元に座り込み主人を見上げれば、ようやく視線が合う。蜂蜜色の瞳を潤ませ、耳や頬を赤く染めた姿は可愛くて仕方ないけれど、その表情を引き出したのが自分ではなく京介だという事実は耐え難い。
「みゃーちゃん」
両手を伸ばし、椅子から滑り落ちるような形で抱きついてきた葵を、都古は無言で受け止める。長い間抱き合っていた証のように、葵からはほんのりと京介の香りがした。火照った体も、キスの名残を嫌でも感じさせる。
「ごめんね」
「……何の、ごめん?」
真意を問うように尋ね返すと、葵は分からないと言いたげに首を横に振った。
少し前の葵は、キスをただの挨拶の一つだと無邪気に受け入れていた。恥ずかしそうにはしながらも、好意の証であると信じていたから誰にされても喜ぶ素振りを見せていた。でも少しずつ葵が変わってきている。京介とのキスを何事もなかったかのように流されるよりは、良いことなのかもしれない。
「消毒、いい?」
今度は都古から問い掛ける。京介の痕跡を拭いたかった。葵は困ったようにこちらに視線を送るだけで、否定することはない。
だからまだ艶の残る唇に静かに口付ける。
もしかしたら、京介も同じ目的で葵にキスを仕掛けたのかもしれない。日中ずっと葵に付き添う都古への嫉妬は元々感じている。彼もまた、今回の件でひどく参っていることも。
だとしたら、これは悪循環でしかない。順番に葵にマーキングを施し、それを互いに塗り潰す行為。葵を戸惑わせてしまうことは分かっている。けれど、自分も京介も、引けやしない。
京介からの話は、今都古の考えていることと似た類のものなのだろうか。
昼間は侵入しなかった咥内へと舌を潜り込ませ、全てを己の感触で覆っていく。その度に腕の中で震える葵が愛しくて、もう誰の手にも届かない場所に隠してしまいたくなる。
「アオ、好き」
キスの合間、何度伝えても足りない言葉を囁けば、都古にしがみつく葵の手の力が強まった。
ともだちにシェアしよう!

